楽になる人を「許せない」人達

「食器洗いは食洗機に任せるべき」
「調理はホットクックに任せるべき」
「育児中も積極的に1人時間を確保しよう」
「家事は手を抜いて出来る限りやらない工夫を!」
今まで散々散々発信してきたことだ。これは全て絶え間ない毎日の家事から「楽になる」ための言葉である。その度に強い反発にあってきた。食器手洗いは洗濯を川で洗濯板を使って洗濯しているのと一緒はてなブログで記事を書いた時はTwitterでは炎上状態であった。だが実際食洗機という食器洗い代行家電があるのにそれを否定して手で食器を洗い続けるのは、洗濯機という洗濯代行家電があるのに川で洗濯板を使って洗濯するのと一緒だと俺は思う。
この時「この2つは手間が全然違うだろ」という反応も来たが、言いたいのはそこじゃない。俺が言いたいのは「楽をできるのに楽をしないのはなぜ?」ということだ。また効率化の話をすると愛情がない、などともよく言われる。
毎回毎回同じ反応が来るのが不思議だったが、これは価値観を変える話だと思えば何となくわかる。それを今回書いていこうと思う。

価値観を変えるのは非常に疲れるけど

俺と奥さんは育った家庭環境が真逆だ。俺の親は厳格で「これぞ昭和の親」みたいな親だった。おかげで俺自身も奥さんと会うまではやや頭が固かった。
そして奥さんの親は「楽できるなら楽をしろ」「大雑把でもきちんと結果がでれば良い」というような感じだ。初めて挨拶に行った時も非常に気さくで俺としては肩透かしだった笑
そんな価値観が真逆な俺と奥さんが一緒になって衝突しないわけがない。最初は結構喧嘩したものだ。だが人間楽をしたいというのは俺も同じなわけで、俺の価値観は徐々に奥さんに寄っていった。今では自分の親より奥さんの両親の方が話が合うくらいだ。
これは徐々にだったから変わることにさほどストレスも反発もなかったが、これを一気に変えろと言われたらストレスも反発も強かったかもしれない。それくらい自分の価値観を初めて変える時は大変で、とても疲れるのである。

だが一度価値観を変えてしまうと、その後は柔軟に価値観を変えることができるようになる。要するに慣れだ。一回も二回も百回も同じなのである。
それを新しい考え=即反発な人達には是非わかって欲しいと思う。人間楽をして良いのだ。

「自分は我慢しているから相手も同じでなければならない」では生きづらい

価値観を変えることに抵抗があるならまだ良い。一度変えてしまえば抵抗はなくなるからだ。
問題は「自分は我慢しているから他人の楽が許せない」という理由で自分以外の誰かが楽をすることを許さない人達だ。これは非常に生きづらいと思う。
この一番良い例が夫婦・親子だ。夫婦は平等だし親子もある意味平等だが、だからこそ片方だけが我慢している状態に納得できないというもの。
サラリーマンで言えば「自分は上司や取引先に毎日イビられているのだから、シュフが家事で楽をするのは許せない」という理由でシュフが食洗機を買って家事で楽をするのが許せないという感じだ。これは男性から実際に来た反応である。
また同居や帰省で言えば「今までそうしてきたから」「自分も我慢しているのだから」帰らないなんて許せない、楽するのは許さないという感じだ。これも迎える側の母親から実際に来た反応。ストレートにこう言えるのは逆に凄い。
わからんでもないのだが、そこは相手と自分は別に考え、自分がいくら大変でも相手が楽に越したことはないくらいに捉えて欲しいものだ。
そして結局そう思える人こそが人生を楽しめるんだと思う。人間楽をしてなんぼだから。ちなみに俺は超の付くブラック企業に勤めていたが、奥さんには死んでもあんなところに勤めて欲しいとは思わないな…

世の中は楽をできる・許せる人間になったもの勝ち

人間は「少しでも楽をして楽しく生きる」のがいいだろう。「苦労をして苦しみながら生きたい」人がどれだけいるのかはわからないが、今よりも快適に、楽をして少しでも簡単に、楽しい方向へいくことに罪悪感を持つ必要はない。
というより徹底的に楽をする努力をするべきだろうし、他人の楽を許すことも大事だ。他人の楽を許せないのは皆で苦労する負のスパイラルに落ちるだけ。自分と同じ苦労を味わっていない人を恨みたい気持ちもわからなくもないが、どうしたら皆で楽をできるか考えた方が有益だ。
そして何故人生を楽しめないかというと、人生を楽しむための時間をわざわざ大変なことに使うからだ。簡単な方法があるならその簡単な方法を選択し、余暇を好きなことに使えば良い。それが人生を楽しむということだ。

冒頭の食洗機の話に戻すが、食器洗いを食洗機に任せて浮かせた時間10分は時間的には短く、出来ることはかなり少ない。だがその「食器洗いをしなくて良い10分」は、シュフにとって「時間が10分空く」なんてものじゃないほどの価値がある。一回で見れば10分だが、毎日の精神的負担は激減するし結果余裕が出て家庭の雰囲気は良くなる。
疲れて帰宅した我が家でシュフが余裕なくイライラ家事をしていたら、取れる疲れも取れないだろう。つまりシュフが食洗機を使って楽をすることを許せるということは、結果的に自分のためにもなるのである。
これを自分が我慢しているからお前も我慢しろと食洗機を使うのを許さないと、会社で我慢し家でもシュフのイライラに我慢し…という状態になる。皆で苦労して、皆で我慢して、これで一体何のために仕事しているの?という状態だ。
相手と自分を別に捉え、自分の状況を抜きに相手が楽をすることを許せるかどうか。そして自分自身も楽をすることを良しとできるかどうか。この二つ次第で人生は楽しくも辛くもなるが、どうせなら楽しい人生を歩みたくはないか?そのためにまずは楽=悪という考えをなくした方が良いだろう。


河内瞬


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