大事なのは結果であり、やり方を気にしてはいけないのである。


自分が家事の主担当をしていると、当然だが手伝ってくれるのは奥さんの方だ。すると自分と違うやり方が目に付くときがある。「そのやり方はダメ。こうして。」とつい口を挟みたくなる。
もっともこれはシュフ業に限らず、誰かに仕事を任せた時にほぼ全ての人が陥ることだ。特に今まで効率化を重ねて仕事の「型」が決まっている人は、不器用な人のやり方が気になって仕方ないだろう。そして「違うそうじゃない!」「もっと頭使ってよ!」「どうしてそんなやり方をしてるの?」と相手を責め、言われた相手は萎縮してしまいどんどん完璧とは程遠い出来栄えになっていく。
まさに悪循環で、これでは誰も幸せにならない。

不景気になって共働きが当たり前になり、シュフがシュフ業だけをやっていれば良い時代は終わった。そしてそれは「働く側が働くだけで良かった時代」も同様に終わったということである。
家事育児は夫婦で協力してするというのが今の時代に合った形なのだ。だからもっと2人で家事育児をしているという夫婦が増えてもおかしくないのだが…どうやら現状そこまで増えていない。理由は様々だろうが、この原因は働く側だけでなくシュフ側にもあるのではないかと自分がなってみて感じた。
家事育児にパートナーが参加しない、参加させることができない理由の一つに「家事を完全に相手に任せることができない」というものがあるが、これは「結果ではなく過程にだけ」に目を向けてしまっているのではないだろうか?

「やり方」にケチをつけるようになったら人間終わり

先日下記のようなツイートをした。

なんていうか「やり方」にケチをつけるようになったら人間終わりなんだよ。洗濯物の干し方が自分と違っても、乾くという結果が同じならどんな干し方でもいいの。それを「私のやり方でやりなさい」っていう姑はもう悪でしかない。夫婦でもそうだよ

RT1000超えとまぁまぁ拡散されたのだが、このツイートで言いたかったことは、「乾く」という結果が同じなら「干し方」という過程は何でも良いということ。つまり乾けば良いのだから、やり方なんて相手に任せろという意味だ。
そして共感する反応を多くもらったが、一方で「洗濯干しを頼んだら重ねて干されて生乾きの臭いが凄かったのでそれ以来頼まなくなった」といった反応も一定数来た。
でもこれは「乾く」という結果が伴っていないのだから、やり方をきちんと教えれば良い。誰だって最初は初心者なんだし、一度ダメだったからと言って以後頼まないのならサラリーマンは全員クビだ。

相手が使えないからと仕事を頼まなくなれば、自分の負担が減ることはない。そして徐々に余裕をなくしイライラするようになってしまう。
こうなるとパートナーが簡単な家事一つやろうとしても、ほんの少しやり方が違うことも許せなくなってしまう。そして同時に責められた方はどんどんやり方が雑になったり下手になったりしていく…
これでは夫婦は共に疲弊していってしまうだろう。

手伝ってもらうという構図が許せなくてはダメ

家事を誰かにしてもらうということは、自分の負担を減らすことが目的だ。自分の負担を減らしたいのなら、相手の負担も極力減らさなければならない。
家事育児は夫婦の仕事という時代になったとはいえ、どちらかが多く収入を得ている状態であれば、働く側の仕事は収入を得てくることに他ならない。働く側が家事育児に参加するというのは、構図上「手伝う」形になるのだ。
ツイッタランドで度々炎上する家事を「手伝う」発言だが、ここで手伝うというワードに即「手伝うではダメ」と反応してはいけない。協力者の意欲を削ぎ、自分で自分の首を絞めているようなものだ。
これも過程と結果の話と全く同じで、家事の担い手が増えるという結果が得られるのであれば、相手の認識(過程)なんて正直どちらでも全く問題ない。家事の担い手が増えることこそが重要で、してもらう動機なんて最初は何でも良いからだ。それに家事に参加し続ければ自ずと認識なんて変わっていく。これも仕事と全く一緒だろう。
何度言っても相手がやらないと「手伝うなんて言ってるからダメなんだ!」と言いたくなるのもわからんでもないが、手伝うという認識でもやる人はやるし、わかっていてもやらない人はやらない。何故なら認識なんてやるかどうかには関係ないからだ。そこじゃないんだ重要なのは。
相手に家事をしてもらうには結局その気にさせるしかない。そしてその気にさせられるかどうかは何気ない一言が重要だったりするのだ。

ちなみにこの「その気にさせる」とか「してもらう」のような言葉にも手伝う同様に「それではダメ!」と反応してくる人はいるだろうが、正直そこに条件反射的に反応している限りパートナーは家事に参加してくれないと思う。何度も言うが、気にするところはそこじゃないからだ。
※ちなみに何で「手伝う」に反応してしまうのかについてはかつてはてなに書いたのでそちらを参照ください。

では参加させるにはどうすれば良いのか

夫婦喧嘩なんて働く側が家事に参加すればなくなるという記事を以前はてなで書いたが、あれはシュフ側に立ったシュフのためだけの意見である。つまり夫婦両方の視点で考えるとそれだけでは足りない。働く側が家事に参加してもシュフが求めるレベルの仕事をしてくれないと結局衝突するからだ。
ではどうするかというと、意識のすり合わせが必要になる。働く側は「家事スキルの向上」を目指し、シュフ側は「働く側は自分のようにはできない」と受け入れることが重要になる。
まぁ簡単に言うと歩み寄れってことであり、歩み寄るには普段から夫婦でいかに会話しているかが重要になっていく。普段会話しないのに「これお願い」「わかった」だけで意思疎通を完璧にするなど不可能だからだ。意思疎通は夫婦間においては本当に何よりも重要だ。きちんと意思疎通ができないと、夫婦関係は必ずいつか破綻する。
思ったことをお互いにタイムラグなく言える関係でなければ、今の時代に夫婦関係を続けることは難しい。
会話して、知っているようで全く知らないお互いのことをよく認識しよう。

思い切って「完全に」任せれば全てが上手くいく

普段から会話して相手のことが何となくでもわかっていると、安心して任せられるようになる。たとえ結果が伴わなくても、責めることなくアドバイスしたりして次回また任せることができ、任せられた方はスキルをどんどん上げていく。だから「どうせできない」からと任せないでいると、相方の家事スキルは上がらないし、全て自分で背負い込み余裕をなくす。
また会話しないと相手のことがわからないから信頼できない。人はわからないことに不安・恐怖を感じるようにできているからだ。そして不安・恐怖を感じる人に「完全に任せる」なんてのは不可能だ。会話・意思疎通がいかに重要かということだ。

最初はできなくても仕方ないと思い任せるか、できないから頼めないと言って任せないかで、その後のシュフ業に大きな差が出る。任せれば当然最初はフォローも大変だが、後々の自分の負担は確実に軽くなっていく。
そしてこれはシュフ側にだけ利点のある話ではない。家事育児をするって家族の中心にいることだから、普段外で仕事をしていても疎外感に苛まれなくて済む。
また働く側に家事育児スキルがあれば、シュフ側に何かがあった時にも対処できる。

思い切って家事を任せるというのは自分だけでなくパートナーのため、もっといえば家族のためなのである。その目的のためには過程など一々気にしてはいけないのだ。結果が伴っていない場合のみやり方(過程)をアドバイスし、結果がOKならもう全てに目を瞑る。やり方が気に入らなくても、やり方が非効率的でも任せた以上相手に全て任せる。それがシュフ側にとっても働く側にとっても結局最善なのである。


河内瞬


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