見出し画像

読書会『田園の憂鬱』 リポート

半実録Bゼミ読書会 リポート:栗原良子

Bゼミは、詩人正津勉主宰で、およそ30年間、月一度継続している自由参加の読書会です
当初は高田馬場界隈で会場を借りて実施されていましたが、2020年コロナ期より、毎月最終金曜日の夜に、リモートで実施。正津勉の博識体験と自由な指導により、様々な作品から、時代や民俗の読解、参加者の率直な感想が聴ける貴重な機会になっています

半実録第2回


課題 佐藤春夫『田園の憂鬱』
(2024年4月26日(金)6:30~8:30)
※源氏名・性別・年齢は、筆者判断による適当表示、発言はメモから起こした概要であることをご了承ください

 【佐藤春夫 テキストに合わせた部分を中心にした概要年譜】
明治25年(1892年)和歌山県新宮市生まれ
医者の家系で父は子規に私淑する俳人でもあった
明治37年 12才 新宮中学入学時に「文学者たらん」と宣言
明治43年 18才 上京、生田長江に師事
大正4年(1915年)23才 油絵に熱中 二科展に2点入選
◎大正5年 24才 4月、19歳の女優川路歌子と愛犬、猫各2匹を伴い神奈川県中里村(現在の横浜市港北区)の寺→田舎家に居住後の『田園の憂鬱』の原案『病める薔薇』を持って12月帰京
大正7年(1918年) 26才 『田園の憂鬱』発表、一躍作家の地位を確立 
—————谷崎潤一郎との妻譲渡問題など
昭和39年(1964年)5月6日、文京区の自宅で取材録音中、心筋梗塞にて急逝  
72才

正津勉 今日は欠席者も多いので、雑談込みでやりましょう
国木田独歩の『武蔵野』が明治の名文とするならば、この作品は大正の武蔵野の物語です。推薦したシノさんから感想を

シノ♀(53) 私個人の感想ですが、今でいうモラハラが至る所にあって、コトバは流れているが、結論もなくて、作品で何を言いたいのかわからなかった。
主人公は人との相互作用が乏しくて、社会とのつながりが不明。独白がずっと続いているようで、奥さんもどのような人かわからないままでした。

ドラミ♀(69) 自然描写が細かくてすごいと思いました。これは、佐藤春夫がこの時に絵に熱中していて、入選もしていたこともあると思います。自然を凝視している。シノさんも言っていたように、人とのやり取りは子どもっぽい。だってこの時、24才だもの、と気づいた。まだ若かったのです。最後の『おお、薔薇、汝病めり』の連発は不可解でした。

ハッシー♂(72) こんな有名な作家なのに、今まで読んだことがなかった。
新宮市出身で、大逆事件との関連はどうしても調べておきたい。無政府主義者幸徳秋水に共鳴していた大石誠之助が新宮にいた。連座して死刑になってしまい、当時与謝野鉄幹のいい気味な、と反語をわざと繰り返した詩や、佐藤春夫も、『愚者の詩』を反語を用いて発表している。
『田園の憂鬱』も初めて読んだ。モダニズム文学と言われた横光利一や川端康成の作品に先じている。文体も翻訳調でストーリーの進め方もユニーク。最近は読まれていないようだが、今の若い人たちには反発を受けるのかな?
『西班牙(スペイン)犬の家』という5-6ページの初期の短編が大変にすばらしい。ぜひ読んでみてください。

正津勉 大逆事件で連座して死刑になった、佐藤春夫と同郷で敬愛していた大石誠之助のことは、平凡社新書『はみ出し者たちへの鎮魂歌』の中で書きました。佐藤春夫もこのとき良い詩を書いています。どうぞ読んでください。この本はあまり売れなかったけど・・・鉄幹の詩も名作だから。

インカ♂(73) この小説の舞台の近くの青葉台に住んでいたことがあります。当時は広い田園地帯でした。
奥さんが東京に帰るシーンがあるが、ほんとうに当時はまったく半日がかりの僻地です。
『秋刀魚の歌』の詩はみなさん読んでいると思うが、『イナゴの大旅行』も読んでいるはずです。台湾の話で、小学校6年の教科書に載っています。
『田園の憂鬱』では奥さんに薔薇を摘んで来させる場面があるが、今なら離婚でしょう。この時代の男性はモラハラと感じました。最初は自然描写が細かく、後半はストーリー性がある。全般病的に感じられたが、漢詩や西洋文学が多用されていて、知識欲を感じました。

正津勉 二十代でこれほどの知識はすごいですよね。 

バード♀(50)『殉情詩集』はいい感じだったが、この本は読めなかった。文体がなんだかよくわからないうちに、行ったり来たりしてしまい・・・詩のイメージとちがっていました

ジョイ♀(75) 小学校の教科書にあった佐藤春夫の詩に感動したことを覚えています。新しい時代の象徴のように感じた。季節を書いた詩だったが、残念ながら今回探しても見つかりませんでした。
多彩な人で、二科展入賞、文体もいろいろ書いているようだし、17,8歳の時には大石さんを悼む詩を書き、年を取ってからは文化勲章ももらい、芸術院会員にもなり、いろんな面をもっている。
この作品の直前に書いた作品『お絹とその兄弟』は内容も文体も全く違うので驚きました。

タイタン♂(45) 新潮社版で読みました
最初は退屈だったが、じわりじわりとおもしろくなっていった。妻とちぐはぐだったり、神経症の人を主人公にしているところがおもしろい。妄想の部分は詩的でした。

シノ♀(53) モダニズムの話が出てきたが、西洋のデカダンスの影響を受けているという指摘はありますか?

ハッシー♂(71) 世紀末にデカダンスは流行ったが、むしろそれを乗り越える20世紀の新しい運動、ジョイスやエリオットに近いのでは?谷崎の方がデカダンスに近くて、佐藤春夫は、すごくモダン。

正津勉 今出たが、谷崎との婦人譲渡問題がおもしろい。
その時の佐藤春夫の詩が面白くユーモラス。殺してしまえあの男、などとデカダンと言えばデカダン。『秋刀魚の歌』も、その最中の詩で、非常に面白い。
小説書いて詩を書いて、ユーモラスな人は少ないが、室生犀星と佐藤春夫にはそれがある。
大正時代はエアーポケットに入ったみたいで面白い。そして大谷崎は有名になったが、佐藤春夫は人口に膾炙した人。『晶子曼荼羅』は名作。『殉情詩集』も見事で、多才な人です。

ジョイ♀(75) 急に読まれなくなっちゃった印象、なぜでしょうか…オリンピックの時に書いた讃歌、あれは古臭くていただけなかったけれど…開催直前に亡くなりましたね。
今もそうだけれど、「今までの日本になかった」という評が多い。

正津勉 大正モダンの一番いい部分だね。和漢洋の知識が、この年齢ですべて使えているのは何だろう!
現代ではもうこの時代の翻訳が必要なのだろうか?

インカ♂(73) 樋口一葉になると翻訳が必要ですけど

 正津勉 北村透谷も読めないね
今の時代からすると、セクハラも全般すごすぎる

ジョイ♀(75) 女性とはすぐに別れる。
全集の解説に、佐藤春夫は女性が傍に来るといつもそわそわしておちつかなくなる、と書いてあって驚きました。

正津勉 吉行淳之介も言っていた
「年とったら佐藤春夫型になりたい」って。
当時としては長生きした人だが、50になったらステッキ持っていて、若い女性が来ると、よろよろっとなる、あのやり方がうまい、と、言っていたんだよなあ・・
全集も12巻くらいある。すごい。でも全部は読めない。

 ハッシー♂(71) 代表作は?

 正津勉 詩がいい。やわらかい。いいとこの坊ちゃんだから。その良さが出ている。

シノ♀(55) 評論で、中村光夫さんが、あのくらい話が通じないのは初めて、と書いていたのを読み、この作品は創作でなくて、本当のことだったかも、と思いました。主人公があまりにもいやな感じに書いてあるのに・・いい時と悪い時があった人なのでしょう。

 
リポーターまとめ

偉大な作家、膨大量の作品を残した作家の、一作品。書名は誰もが知っていたこの作品を、読書家たちのほとんどが初めて読んだという『田園の憂鬱』。
妻と二匹の犬と二匹の猫を連れて、佐藤春夫が滞在したのは大正5年(1916年)4月。
現在の横浜市港北区、田園都市線の市ヶ尾駅にあたる郊外の、茅葺の家。ここにに滞在した男の日々が綴られる。労働の気配はなく、日々の感傷や思考、数人の隣人とのやりとり、妻との会話が続き、最後は薔薇の花の描写で終わる。
24歳の佐藤春夫ははじめ、本気でこの村で一生を送るつもりだったらしいが、結局8か月の滞在で、12月には東京に戻り、のちには『都会の憂鬱』を書いた。
現在では珍しくはないだろう無聊な日々の徒然描写に、時代の変遷や文学の変化を感じることができ、皆の感想を聞いて、実感や、感情を読み取る幅がもてた気がする。

正津勉 次回のテキストは何が良いでしょうか
(……皆からの様様な提案後)
中島敦「山月記・李陵」にしましょう

 ※次回Bゼミ読書会は
2024年5月31日(金)18時30分より(案内をご覧ください)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?