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期待は自分でつくるもの

先月、ベトナムは旧正月休みかつ、妻の妊婦検診のため、実家のある名古屋に1週間ほど帰省していた。

僕は19歳まで名古屋で育ったため、故郷はどこかと言われたら名古屋になる。数年ぶりの規制のため、時間があるときに、自転車を借りて、街を回ってみた。そこには、当時とあまり変わらない光景があり、なつかしさと共に、胸がギュッと苦しめられる思いがした。

実は名古屋には、いい思い出がない。とりわけ、いい思い出がなかったのが、高校時代だ。僕は名古屋にある私立の男子校に通っていた。本当は公立高校にいきたかったのだが、試験に落っこちてしまったため、仕方なく男子校に通っていた。

そんな中でも、せっかくの高校時代だから何かをしようと思いテニス部に入部。しかし、当時所属していたテニス部は、全国大会を2連覇してしまうようなスーパー強豪校だった。僕は「球拾いの球拾い」として悔しい日々を過ごしていた。

では学生の本業である勉強はどうか。学校としては、進学校になろうとしている段階であったことから、学生たちには毎日スパルタで勉強をさせていた。平日でも毎日、平気で23時まで追試が行われ、終電を逃すといった、ブラック企業勤めのサラリーマンみたいな生活をしていた。

そんな中、僕はどうしていたかというと、ただ毎日を漫然と過ごしてしまっていた。

とりわけ、テニス部の講師は、明らかにレギュラー陣しか部員としては必要ないはずなのに、非レギュラーの僕たちにも、建前上は部員として残していた。加えて、テニスコートも用意されていた。そのことから、頑張れば僕もレギュラーになれるんじゃないかという淡い期待だけを胸に、練習はしていた。しかし、あくまで講師が期待するのは、レギュラーであり、非レギュラーの僕たちはいてもいなくても全く影響しない、そんなちっぽけな存在だった。卒業してからも数年間は、思い出すたびに「必要ないなら必要ないと言ってくれよ!それならあきらめがついたのに」と思い続けていた。

そんなことを思いながら、部活も勉強も中途半端な生活が続き、卒業後は結局浪人してしまった。そんな自分が嫌で嫌で仕方なくて、できることは勉強しかないと気持ちを入れ直した結果、1年後にはいきたかった大学に入ることが出来た。

最後の最後は良い思い出なのだが、そのプロセスが良くないので、名古屋に帰る度に胸が締め付けられるのだ。

でも、今回、帰省して自転車で街を回っていたときにふと思ったんだ。「他人に期待をしていた」時点で、自分は未熟だったんだと。今思い返すと、当時でも、自分を主語にして、どうしたらできるかに頭を使って行動すればよかったんだ。球拾いだとしても、最高の球拾いをするにはどうすればいいかを考えればよかった。そこから道を切り開けたのかもしれない。レギュラーの人たちにも、何か一つでも勝てる武器を3年間磨き続ければ、もしかしたら勝てたかもしれない。

仕事でも一緒。誰かに期待することほど、時間も労力も徒労に終わることが多い。基本的には、自分を主語にして、大きな目標をもって、出来ることを毎日積み上げていくことが、自分に自信を生み、結果を生み、周りからの期待も生むのだ。

いいことに気づかせてくれた旧正月@名古屋の旅だったな。ありがとう!また来るよ。


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