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「楽しく時を過ごすためには、たまに、ポジティブな可能性についてこちらからノックしないと…

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「楽しく時を過ごすためには、たまに、ポジティブな可能性についてこちらからノックしないといけない。なぜなら、ネガティブな可能性はむこうから勝手にやってくるから」

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可能性がなければ、楽になれない。

時間の過ごし方は人それぞれだ。 働き続ける人、働かない人、家族と過ごす人、恋人と過ごす人、一人で過ごす人、努力する人、怠ける人。 でも、みんな、それが自分にとって、最も楽な選択をしていることにあまり気づいていない。 楽=さぼる。楽=なにもしないで金を稼ぐ。楽=嫌なこと、苦手なことをしない。 そうではない。自分が時間を過ごすうえで、気持ちの部分で最も楽なことを人はする。 「おれはこんなものじゃない!」という想いを克服することで楽になれる人は、なにかしらの努力を続けてい

    • 「もう一歩」のその距離は、はてしなく遠い?

      「もう一歩」が踏み出せないために、多くのことが「現状」のまま私たちの前には高く、重く横たわっている。 この高く、重たい「現状」という代物は、とても脆く、壊れやすいもののはずなのに、なぜか、簡単には除けることができないものとして私たちの進むべき前方を塞いでいる。 どうにかならないものなのか。 多くの人がそのことを考え、そして答えを導きだそうとし、ようやくその答えが見つけ出せそうなところまでいったところで、「もう一歩」が踏み出せなかったばかりに、「現状」の壁に行く手を遮られ

      • そのリスクは、「瞬間的」?「永続的」?

        リスクの意味は、「危険」。 セーフティー(安全)の反対語。 リスクが伴う投資、リスクの大きな事業、リスクの分散を図る、などと使われる。 「なにかにチャレンジする(前向きな行動)」ことは、その反面で、「危険なことがある(後ろ向きになってしまう事象)」。その覚悟を持って、行動してください、といったところだろう。 ただし、一般的に使われるようなチャレンジングな行動にのみ付け加えられるものではなない。 例えば、「リスクのある後退」「リスクのある停滞」「リスクのある停止」など

        • #100文字ドラマ・可能性診断

          何をやっても上手くいかない男がある日、自分の周囲の人間が口にした内容が実現できるかどうかが数値化される「可能性診断メガネ」を手に入れる、男はどうすれば可能性の数値を高めていけるかについて考え、奮闘する。その中で可能性を高める要素に気づいていく。

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          “可能性のある男”とは? 「スラムダンク」編

          可能性のある男とは、どんな男か? そのあたりについては、様々なご意見がありそうだが、ここでは「スラムダンク」の登場人物を代表的事例として、可能性感じさせる男について、紹介していく。 大笑いできる男(代表的事例:桜木花道) 桜木花道は、いつも大笑いしている。嬉しい時も、悔しい時も、仲間を励ます時も・・・ それはなぜか? それは、彼が、人一倍、周囲の人間のことを考えているからではないか。自分が楽しみたいだけなら大笑いなどする必要はないのだ。心の中だけでニヤついていればいい

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          可能性を広げるためには、できない理由を見つける?

          私たちは、なぜだか、可能性を説明をすることが苦手だ。 それなのに、不可能性を説明することは大得意だ。 不可能性とは、「できない理由」と言い換えられるかもしれない。 だったら、可能性を広げるための最初の一歩とは、「できない理由」をできるだけたくさん見つけることなのかもしれない。 ・給料が減るかもしれないから。 ・今までよりも、さらに厳しい状況におかれるかもしれないから。 ・恩があるから。 ・付き合いがあるから。 ・建前があるから。 ・家庭があるから。 ・これ

          可能性を広げるためには、できない理由を見つける?

          可能性を広げるのは、ココロかアタマか?

          あなたは、ココロが強いですか? アタマが強いですか? こんな質問をされたら、多くの人は、何を質問されているのか、わからなくなってしまうだろう。 可能性を広げるためには、多くのことが必要だと思われがちだが、本当に重要なのは、3つのことだけだと思われる。 一つ目は運。二つ目も運。もちろん、三つ目も運・・・ これは極端な回答だが、大きく外れていない。 それほどまでに、可能性を広げる(成功する)ためには、運の必要性が高いはずだ。 ただし、可能性を広げるために必要な運は、二つの

          可能性を広げるのは、ココロかアタマか?

          「誰かのために」は胡散臭い?

          「みんなのために頑張っている」 なんとなく胡散臭い? 人は誰しも、自分のことが一番可愛くて自分さへ良ければいい、と思ってしまう生き物だ。 でも、これは人間に限ったことではない。全ての生き物に共通する考え方だと思える。 なぜなら、生きていくことが、生物に課された最大の使命だ。そのために、自分(だけでも)を守ることは、なにも間違っていないし、非難されることではない。 戦争に反対するのも、殺人が犯罪なのも、天災にあわずにホッとするのも、飛行機事故がどこか他人事なのも、全て

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