見出し画像

【愛で写真は上手くならない】

被写体に恋をするとか…愛がなければいい写真が撮れない…とか、そういうお話を耳にする度にうんざりします。

最高のカメラマンは子どもを撮るお父さんとお母さんだなんて、そんなの当たり前です。
だって、打ち解ける時間が必要ない上に、与えられた時間にも制約がなく、重ねられた何百何千ものシャッターから産み出された写真の当たりの確率が、雇われカメラマンが限られた時間で撮る確率より高くなるのは当然のことです。

ポートレート(肖像写真)もスティルライフ(静物写真)もどちらも、愛や心で被写体に臨んで良い写真が撮れる確率はとてつもなく低いと言い切る事が出来ます。
なぜなら僕自身が同じ環境、同じ被写体で撮影する機会があれば、最新型のカメラとレンズで撮った方が、旧型のカメラとレンズで撮るよりも、良い写真を撮れる確率は遥かに高くなるからです。
良い仕上がりになるかならないかの確率は、それくらい機材の良し悪し、技術のあるなしに左右される可能性が高いのが写真です。
もちろんトイカメラやハーフカメラなどを使って特殊な撮り方をすることで、性能の悪さを逆手にとって仕上げるやり方もありますけど、それはそれでテクニックを要します。

村上隆の言葉を借りるまでもなく、アートは自己満足では成立しません。絵画や彫刻などもそうであるように、技術と感性、どちらが欠落していても成立しづらいものです。

たまに感性だけでずば抜けた表現力を発揮する天才がいないわけではありませんけど…

でも少なくとも僕は天才ではないので、被写体にレンズを向ける前に、撮影環境に応じた理屈をひとつひとつ積み重ねていきます。
自然光であるなら、背景と光源(太陽)の向きや被写体に反射するものの色や光量や明度。
屋内やスタジオなどではストロボや環境光の、光量バランスや色温度や、色かぶり。
現像やPhotoshopによる仕上げを踏まえた露出。
Photoshopと言うと、すぐに加工した写真に対するアレルギーを持ち出す方々も少なくないけれど、フィルムで撮影する場合、プリントを踏まえた撮影条件を整えることの方が遥かにハードルは高かったりしますね。フィルムの場合、特に、想定したプリントに合わせた撮影条件だけでなく、薄いネガや濃いネガなど、好みのネガフィルムを作るための現像時の時間管理や温度管理、撹拌の仕方なども細かく気を使います。その為に特殊な現像液などを作ったり、新液と使い古した旧液を混ぜたり、その混合率を変えたり…
プリントする際も掌を使ったり、様々なマスクを使いこなして焼き込みや、覆い焼きを行った上で、スポッティング(プリントやネガの不具合を筆やペンにより直接書き込んで調整する手法)などの手作業のレタッチを駆使して出来上がるのが一枚のプリント作品だったりします。

「写真を撮る上で必要な愛があるとすれば、それは他者に向けられるものではなく、自己に向けられるもの」
(https://twitter.com/kay_nanaka/status/1093214206789206021?s=19)
と以前言った裏側には、写真を仕上げると言う行為に対する深い愛があります。

SNS時代の写真であればあるほど「映え」を意識した写真の撮り方や仕上げ方があるでしょう。
セルフポートレートでの承認欲求も、被写体をどれだけ愛しているか見せつけたい承認欲求も当然あるでしょう。
どちらも自己に向けられるものですが、どちらにせよ、伝えたい自己愛を写真の形にして伝える為には、愛と言う言葉で誤魔化さない自分を積み重ねる事が大事なんだと僕は考えています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?