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御伽

盲愛に処すや響後の落ち着いた方面のSchadenfreude。
アルバム1曲目から曲が繋いでいってようやく静かに鎮静しながら状況を俯瞰して見守れるようになった人の視点。
ナウシカ映画でいうと王蟲の目が赤から青くなってくれた終盤的な。

深い谷へと、とあるけれど谷底へ落ちていってるわけではなく谷の方が住み処。情景イメージでいうと風の谷とかそのモデルとなったフンザ。
瘴気(貧困)の来ない安全圏で暮らしてます、的な。でもそこに向かうには蟲のいる地上を自力で歩くか誰かの手助けで空飛んでショートカットで谷に行くか。
実際はもっと現代文明にあふれていると思うけれど食糧事情はわからない。

破壊はなんだろ。この人ちがうな~と思う事?それとも今まで生きてきてこびりついた不要な常識や世論や価値観?
明るい方の歌だと思っているけれどこの肝心のやるべき事がブロックかけられていてなかなか今進めない(;'∀')

この歌の視点の人は自分は置いてけぼりくらったか、死んでラクになれば的な気持ちの時に書いたのかしら。
最初の4行を書ける辺りで生きる気力の方こそあって実際死ぬ気あんまないよねって思ってまう。この歌ですら「谷側としての視点」ではっきりと入れ墨人間が登場しているし(^^;)

書いた当時はすがる最後の思いだったのかもしれないな。

数年前も何回か人様から「一種の不安」を聞かされた事あるんだけど「あんだけ怒りのパワーが出る人ってむしろ死なないから、やばいのは黙っている人の方だよ」で終わらせたのと似てる。今回はちょっとその時よりかはさらに数年後なので思い詰めていた感はある。
それすら「盲愛に処す」で八つ当たってるし爆。


未来とか使命とかこちらの事情とか私がどうなるかとかそれよりも重大な事が『今』あるようで。自分を貫くってこういう事だなって敬服しますわ。

この歌、空谷の跫音か流転の塔と共に同日聴いてみたいと思ってる。

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