文章とは、翻訳でありマーケティングでありテレパシーである。

いきなり、「なんのこっちゃ?」なタイトルかもしれない。だがこれは、「伝わる」「届く」文章を書くうえで非常に大事なポイントだ。

そう言われても、頭のなかではたくさんの「?」が渦巻いていることだろう。
・文章が翻訳ってどういうこと?(まだ想像しやすいか……)
・文章がマーケティングってどういうこと?(マーケティングに詳しい人なら想像がつくかもしれない)
・文章がテレパシーってどういうこと?(これは知ってる人は知っているはず)

これらの問いにもっともシンプルに答えると、次のようになる(「お前は何者やねん?」という問いを抱いた方は、プロフィールをご覧ください)。

文章は、受け手の視点を持って、受け手に「伝わる」「届く」ように書かねばならない。

実にシンプルだ。だが、これがなかなか難しい。

文章とは翻訳作業である。

文章が受け手に「伝わる」「届く」には、受け手が理解できる言葉で書かねばならない。つまり、書き手の言いたいことを、受け手が分かる言葉に言い換えねばならない。
それが、文章が翻訳であるということの意味である。

ここで重要なポイントは、「翻訳」するからには、書き手が自分で「何を言いたいか、伝えたいか」を明確にしておかねばならないということだ。元のメッセージが不明瞭なら、どう考えたって翻訳した後の文章も不明瞭になる。
明快だった日本語が、英訳の過程で分かりにくくなることはありえるだろうが、その逆はありえない。何が言いたいのか分からない日本語を、英語に翻訳してもそれは分かりにくいままだ。
「伝えるべきこと」をクリアにするのが、翻訳作業の大前提だ。

文章とマーケティングはよく似ている。

そして、この翻訳のプロセスは、「マーケティング」に非常によく似ている。マーケティングの定義は人によっても異なるが、煎じ詰めて言えばこういうことになるだろう。

マーケティングとは、顧客が誰であるかを決め、自社の商品を定義し、商品の価値を顧客に伝え、実際に届けるまでの一連のプロセスであると。

文章における「顧客」とは、読み手(受け手)のことである。
文章における「自社の商品」とは、その文章でもっとも伝えたい「核」のことだ。
つまり文章とは、顧客=読み手が誰であるかを決め、文章を通じて伝えたい核を明確にし、それを顧客が価値を感じるように、言葉で届けるプロセスである。

ここまでの話をまとめると、「伝わる」「届く」文章には、次の2つが不可欠だ。

「何を伝えるか」という明確な意識
・読み手の視点=「誰に伝えるか」

このどちらかだけでも欠けていたら、そんな文章が読み手に「伝わる」わけがない。「届く」はずがない。それが、文章が翻訳でありマーケティングであるということの意味だ。

文章とはテレパシーである。

そして、「文章とはテレパシーである」とは、その究極表現だろう。
書き手の頭のなかにある伝えたいことが、読み手のもとにそのままありありと届く。
頭で念じたことを届けるには、「何を」はもちろん、念ずる相手もはっきりと思い浮かべておく必要があるはずだ(テレパシーの使い手ではないから実際のところは分からないが……)。つまり、ここでもやはり、「何を」と「誰に」がキーポイントになってくる。

なお、このネタ元は、米国の大作家スティーブン・キングであるらしい。
「らしい」と書いたのは、私自身がその原典に触れたことがなく、仕事でお世話になっている先輩からのまた聞き情報だからだ。これは実に「言い得て妙」な表現で、私自身が文章をつくるときは、「そうあろう」と強く心がけている。

この話は、要するに「伝え方」の問題だ。文章に限定される話ではない。
・プレゼンにおけるスライドの組み立て(何をどういう順場で話すか、どういう言葉でしゃべるか)
・ウェブサイトやパンフレットでの情報の組み立て、並べ方
などなど……

「何を」と「誰に」を強く意識すれば、「伝え方」は劇的に良くなるはずだ。

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