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あけましておめでとうございます

自分は、この20年ぐらい、盆暮れ正月は大体働いている。みんなが休んでいるあいだ働いて、みんなが働いてる間に休むのが好きだからだ。学校も集団行動も昔から苦手だった、自分の才能だと思っている。

人間全員が暦に合わせて動く必要ない。やりたい人だけやれば良い。趣味のもんだいだ。

僕は「年内やらなきゃいけないこと」が終われば、すぐ年明けたことにする。今年は今日だ。今夜このあとラザニアを食べたら、眠くなるか飽きるまで、読書したり漫画を描いて2019年を始める予定だ。

・社会が止まるのは都合がいい

みんなが休んでいる間に頑張るのを、かわいそう・不幸と思う人もいるかも知れない。たしかに、ずっと休めないなら不幸かもしれない。でももちろん、そういうわけではない。

ゴールデンウィークとか盆暮れ正月は、社会が止まる。仕事の電話とかメールが来ない。インターホンのところに「押したら即コロッセウム」とか貼っておけば、訪問勧誘とかも来ない。明鏡止水、集中し放題だ。精神もリラックスし、いい仕事ができるであろう。

最初に気づいたのは、高校1年生のときだった。それまで家族の買い物に付き合っていたのをやめて、土曜日に家にこもってコンピューター少年をやるようになった。宿題とか明日何時に起きなきゃとかから開放された状態で、コンピューターを駆使し、マリオペイントでできるようなことをやっていた。とても楽しかった。楽しい思い出があるのは人生にとって大事で、僕はこの、人間の好奇心や意欲が自由にスパークする状態をいつも大切にしている。

・郵便局のバイト

18で実家を出たときにはじめたバイトも、郵便局の夜勤だった。夜21時半にスーパーで安くなった食べ物を買って、22時から翌朝6時まで仕分けをする。(お弁当)安く買って・(我が命)高く売る、商売の基本や。

勤め始めた2000年はまだ、郵政は民営化もされていない時代だ。携帯電話はあったが、白黒液晶が多かった。白黒メールは味気ないのでメールで済ませない人も多く、ハガキ年賀状枚数は今よりずいぶん多い。また、郵便局には「自爆営業」という文化があり、局員は各自売上を高めるため、セルフで大量に年賀状はがきを買いまくる。適当に配ったり、金券ショップに流れたりする。今、2019年、それがどうなっているか知らない。

僕が行っていた学校は、いろんな地方から学生が集ってきている大学だったので、年末年始は地元に帰る人が多かった。それで年末年始の郵便局の夜勤は、「仕事が多いのに学生が足りない」という状況におちいる。

この間に、人の代わりにバイトに入りまくる。28〜4日まで8錬金(連勤)とか。冬休みなので学業と両立する必要もなく、楽勝だ。ごくろうさま、とか言われて何かもらえたりもする。今度は逆に、自分の試験前などの重要な時期にバイトを代わってもらい、売った恩を成績に変える。

この時期にかなり、「みんなと一緒じゃない」ことに大きなメリットがあることが分かってきた。小中学校ではさんざん、みんなと一緒じゃないといけない感じを味わっていたので、希望を見出した気がした。

・才能

集団行動が苦手で、似たような人間が大量にいて自分がその一員になっているのが不安で、できれば1人で何かを楽しんだりしたい、という人は多いと思う。「孤独が不安」もよく聞くが、「孤独がないと不安」も多いと思う。

流行も関係なく、自分のペースと興味関心で何かに価値を見出して好き勝手に楽しんでいくほうが幸せを感じるなら、無理に世間に合わせる必要はない。

むしろ貴重な才能とも言える。どんなに社会がお祭りムードでも、必ず誰かが警備員をやったり、荷物を輸送したり、線路の点検をしなくてはいけない。そっちにまわるのが苦でないなら、社会から遠ざかるどころか、社会に重宝されているといっていいだろう。僕はそう感じている。

実際この20年、盆暮れ正月働いて、普通のときより報酬が低かったことはほとんどない。多い時は、「とても多かった」。我慢して盆暮れ正月を返上してる気持ちも一切ないので、自分の特技をピカッと発揮している感覚だ。

・結論

何がいいたいかと言うと、社会から仲間はずれにされているような感覚を味わっている人も、実はそれが、それこそが最も人間社会と堂々と関係性を作れるカギかもしれないということだ。とくに小中高の学校世界はクソゾーンなので、そこに適応できてない人も、まったく気にしないでいいと思う。

とにかく、自分はそういうタイプの人間に生まれ育ったんだから、そういう人生を勝手に楽しんでいる。他のタイプの人たちには、その人たちの楽しみ方がある。タイプが違う人同士が無理に合わせることはない。合うところや合わせようとする気持ちがあるときだけ、好きに適当にやればいい。

ただ、自分がどんなタイプの人間かを思い込んでしまって行動の幅をせばめるのは楽しさや幸せを逃すかもしれない。柔軟に考えるといいかもしれない。適当に今年もよろしくお願いします。