メモです(20190819)
「やらされる」というのは、僕にとって避けたいことだ。自主性っていう指針を大事にして生きてきたから。
自分にとっての「やらされ」を無くすというのは、自分の人生の時間や注意を、納得のゆく範囲に使用するということだ。たとえばインターネットで目に見えたから反応する、煽られたから怒る、話題だから付き合う…そういうことの中にも、僕にとっての「やらされ」がある。
ツイッターをやってると、けっこう変なリプライが来る。以前は引用RTも通知に来ていたから時々目に入ってきたけど、その中にもだいぶ変なのが多かった。トゲトゲしたものや、泥酔・心身不調を伴わないと繰り出せないようなものまで。
それらは、リプライ主の「やらされ」で発したものが多いと僕は想像している。僕のツイートをどこかで見て、わかりやすい言葉で言えば脊髄反射的に「打たされてしまった」もの。他人の、異質な考え(ツイート)が目に入ると、ついつい反応してしまうこともあるだろう。だから彼らのしたいことは反論とか対話とかではない。打って発言するほうが、葛藤したり気持ちをおさめるよりも手軽で素早かったから、それだけの理由で出てきたものだ。
ちなみに、変でないリプライ(たとえば親しみを込めて語りかけてくれているものや、気楽に言葉を投げてくれたり)は、反応できてなくてもちゃんと分かるし、ありがたいです。ありがとうございます。
「やらされ」の文化
炎上と呼ばれるようなものも、「やらされ」の連鎖に見えるものが多いし、SNS以外でもワイドショー的な芸能ニュースなんかは「自分の人生の時間や注意力よりも、全体の和を大事にする人々の集合体」でのほうが好まれるテーマだと思う。
また、学歴や収入など、ランキングを気にするのも「やらされ」のカテゴリに僕は入れている。競争や最適化というのは単一ルールへの適応なので。
「やらされ」は低コスト・高スピードなものほど発生しやすいように見える。たとえばもしツイッターが1ツイート10円になれば、さっき書いたような変なリプライはほとんどゼロになり、一方ありがたいリプライはほどんど減らないと思う。(何者かからお金をもらって発言しているアカウントは考えないものとする)
無料なものが多い世の中、便利で手軽なものが多い世の中にますますなっていく中で、望まない「やらされ」の発生に気をつけている…。
異質な考え
おまけメモ:ツイッターなどで異質な考えを目にした時、かなり突飛でも注目することがある。自分とかなり離れた考えに注目した時、そのアカウントを見る。
ほとんど誰にも見られていなくて、情報収集や言葉の構築が苦手なアカウントとかじゃなければ、
・どんな情報源たちをインプットにしているか
・どんな軽さや深さで発言しているか
・どんな(道徳観を含む)文化をもっているか
・どんな損得をどんなふうに実現しようとして発言しているか
などが自分と異なる場合が多い。考え方じゃなくて、前提となる情報や文化や目的が違うのだ。よく言われる「ツイッターは議論に使えない」というのはそういうことだと僕は解釈してる。
そして、別の時代や別の文化圏をバックグラウンドに持つ人だと、インプットが多いのに全然違う方向性の考えになることがある。そういうのが新しい自分を見つける入口になったりするね〜そだね〜。