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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第152回 第118章 医師になったボクら、艇庫に向かう

 父の誕生日は夏至だったため、その日を含んでの4日間の有給休暇申請は心理的に少しばかり楽と言えば楽であった。今日は初日として、船の底のフジツボなどを削り落として、間に乾燥を挟んで、今日、明日とペンキ塗りをするため、いつもより多めに仲間が集まることになっている。自転車のスポークのように、それぞれが住んでいる場所から、ハブに当たる硯海岸のヨット艇庫に集まってくるのである。時計回りで増毛、滝川、三笠、(札幌=あっしら)、小樽である。他にも連絡なしに現れる人間が多少いるかも知れない。
 結婚していない仲間が少しずつ減っている。どうしようかしら、あたし。30台前半から後半に移りかける今、独身のままでもいいし、結婚してしまってもいいし、子どもを作ってもいいし、作らないままでもいいし、札幌に居続けてもいいし、外国に行ってもいいし、まだまだ人生は自由だった。(ホントかな? 多くの人々にとって、結婚に適齢期は存在せず、早すぎるか遅すぎるかのどちらかに傾きやすい)。
 増毛からは消化器内科の裳並(Monami)医師がやってくる。息子さんは4歳で、元気すぎる。父親を悪い怪獣と思っているのだそうだ。ぼうや、その考えは正しいよ。うんとやっつけなさい、おじさんが許すから。この2人が北から暑寒別岳を迂回して南下してくる。このルートの建設・維持は海岸に迫った山との戦いであり、トンネル、覆道が頻出する。ぼうや、ドライブ中にパパに戦いを仕掛けちゃだめだよ。海に着いてからにしなさいよね。
 滝川からは、高校時代にバスケットボールのスタープレーヤーだった外科の楢葺(Narabuki)医師が国道451号線をひたすら西に向かって走ってくる。太陽が運転席のほぼ真っ直ぐ前にあるので、時間帯や天候によってはひどく眩しくて目に悪い。そこで、金井克子の『他人の関係』の曲と踊りを思い出しながら、ハンドルを片手で押さえ、もう片方の手を顔の前に左右交互に立てて陽射しを遮る。当人は独身だが、スナックの体重90キロを超えているであろうママに睡眠薬を盛られそうで下手に飲みに行けないでいる。狙われているのである。このママの非常手段は歯でビールの栓を開けて中に「くすり」を仕込む方法である。ガリッ。
「もうこうなったら、責任取ってよね、せんせ」
「何もしてないでしょう、わたし」
 三笠からは形成外科の雨漏(Amamori)医師が来る。控えめな奥さんと、おとなしい息子さんが1人いる。勉強はいつも学年1番だ。中学受験をさせるかどうかで奥さんと日々論争中である。本人も医者になりたいと言っているので、三笠にいることは著しく不利である。「ぼく、三笠好きだけど、大きな本屋のある街に住みたい」という決定的な台詞を聞かされてしまって、頭を抱えている。
 すると、札幌に小学生の息子を一人住まわせるわけには行かないから、一家で三笠を後にして札幌に転居することになるだろう。新しい病院に移籍するあてはあるが、すがるような眼差しの患者さんたちの顔がまぶたに浮かんできて消えない。
「先生まで行っちゃったら、もう三笠に住んでいられなくなります。どうか、どうか、このまま私たちの命を守って下さい」
 夜遅くなっても溜息が出るだけで何も決められない。いっそ夜逃げしちゃうか? それを警戒して、自警団がこの医師の自宅周囲を赤外線ドローンで24時間監視し、市内だけでなく道内全域の引越業者に話をつけて当面予約で一杯ですと答えさせ、クマにも好意的中立を貫くように協力を呼びかけ、麻酔銃を肩に厳戒態勢を敷いているかも知れない。
「先生! こんな時間に何をなさってるんですか」
「シェー! 見つかったざんす」
「先生、お許しを」
 バーン。ばったり。
 加齢黄斑変性で片目を失明したお婆ちゃんからこう言われた。
「先生、私たちを見棄てないでください。私脚の長さが違って生まれて、子どものころから股関節が痛くて、一生懸命我慢して歩いているんですけど、人工関節を入れなければならなくなるかも知れないんです。そうなったら、是非、先生にお願いしたいんです。ですから、それまでは、私の手術をするまではいてください」
 あそこの炭山協会病院に行ってから、休みの日は海に来るより河原や山の斜面を歩いて化石を探す日々になっている。三笠周辺ではアンモナイトが頻繁に見つかっている。学生時代にはそんな趣味はなかったのに、元患者だったガソリンスタンド経営者から誘われては、日曜となるとタガネ(鏨)を持って川歩きの日々である。そのうち銀行の地下大金庫を狙うようになるかも知れない。
(パンスト貸しますか、変装用に?)
 時間がかかるど。
(そういう問題ではないでしょう)。
 元々は白衣で大学のキャンパスを闊歩する研究者になりたくて理学部進学志望だったのが、まったく聞き耳を持たない医師の父親が怖くて(「なぬっ、医者にならないだと? うちは室町時代から一代も欠けることなく、ずっーと医者の家系だぞ。もうそろそろ一般の人類から分岐して医師種族に進化して行くんじゃないか」)医学部に進学「させられた」医師なので、この化石との関わりにはのめり込みそうである。そのうちきっと医師をしながら理学博士号を取ってしまうだろう。
 夏の間面白いのはバイクの連中である。三笠を通る幹線道路を立派なバイクが1日に何百台も走り抜けている。そのすぐ東隣に富良野があり、北に曲がって美瑛に続くのである。
「そろそろバッテリーが切れる」
 夜中は目立たないので、重量級のヒグマまで乗っている。暗いんだよ、真っ黒のサングラスしてどうするつもりだよ。
(そういう問題ではないでしょう)。
 ナンバープレートを眺めると、人生が見えてくる。福岡、北九州、大分などという近い街同士の組み合わせなら普段からの知り合いなのだろうが、てんでばらばらの組み合わせ、例えば五所川原、盛岡、宇都宮、練馬、浜松、高松、加古川などというナンバープレートが揃って走って行くのを見ると、恐らく北海道各地を感極まりながらツーリングして走っている最中にあちこちで知り合って、スープに浮いている大小の円状の油がくっついてひとかたまりになるように意気投合したのだろう、と想像できる。バイク団子諸君、森の木々を見てみろ。空を見上げてみろ。北海道はあなたたちを心から歓迎する。
 スピードをうんと落として走っているそうしたバイク旅行中の4人組が、アンモナイトの化石がたくさん陳列されている市立博物館の近くを大声で歌いながら通り過ぎた。サングラスのあの歌手の曲だ。
“Are you fine, everybody?”
 岩見沢の幌向(Horomui)からは神経内科の砥沼(Tonuma)である。ところが、本人が統合失調症になったため、目下治療を受けている有様である。よほど辛いのだろう、最近添付で送ってきた写真を見ると、10歳も老けて、冷蔵庫の中にしばらく置き忘れていて萎みかけたズッキーニのような顔をしている(そこまで細長いという意味ではない)。海に向かってドライブを始めても、途中で運転を続けられなくなって救急車を呼ぶことになるかも知れない。当面来なくていいよ。海はずっとあり続けるから。そのうち好転するだろうが、面倒なのよ、あの症状。対照的に奥さんは底なしに明るい豪傑である。クマを殴ってもその首を折れそうである。実際、あの奥さんがいなかったら、砥沼はもう自死してしまったかも知れない。きっと、こう言われているに違いない。
「あんた、患者さんを助ける側でしょう。今度自殺なんかしようとしたら、わたしあんたをぶっ殺してやるから」
 自宅の近くにワイン用ブドウ園が数カ所点在しているため、その若い経営者たちに感化されて、広い庭に奥さんの好きな薔薇(この漢字は日本人は書けないが、外国人は高い比率で書ける。自慢の種なのだ。龜もだ)だけでなく、実を食べる方のブドウを5種類も植えた。ジベレリン処理をすると、種なしのブドウにして、しかも実も大きくすることができる。こうしたガーデニングは、精神の健康の回復にもきっと役立つ。
 涙が出てくる。これまで一度も気付かなかった。オレにはこんな素晴らしい医者の仲間たちがいたんだ。それなのに、学生時代に艇庫であいつらの寝ているまぶたや鼻の穴に黒胡椒を振り掛けて、レモンを搾って起こしていたのだ。オレもそうされたけど。
「早く起きろよ。きれいな朝だぞ。あっ、ウェディングドレスとタキシードのカップルが上からドローン撮影されながら砂浜を歩いている。結婚式用だな、きっと。ここは熱海じゃないぞって教えておいてやろうか」
(ああ、海の空気だ。目をつむったまま鼻から深呼吸。もう一回。そこで息止めて。レントゲンか? 起きていながら夢うつつ。波の音が聞こえる。近い。そうだ、オレ艇庫に来て寝ていたんだった。今日もまたホッキ貝売りに来ないかな。バター炒めにして醤油をたっぷりかけてご飯に乗せて食べたい。炊飯器は人類3大発明の1つだ。あと2つは何かって? あれとあれでんがな)。

第119章 チョウザメの川を横切って北へ https://note.com/kayatan555/n/n684da994c590 に続く。(全175章まであります)。

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