見出し画像

『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第200回 第166章 円山、藻岩山、創成川

 札幌の市街地の最大の特徴のひとつは、北西、西、南西、南、南東の方向にかけて、すぐ豊かな森林に覆われた山々が隣接しており、市内のどこからも見えることである。さらに東にはざっと2,000ヘクタールの平地林である野幌原始林がある。兄+ダチの共同事務所の場合には西に円山があり、その左手の南西には藻岩山がある。札幌で特に名前を出さずに山とだけ言えば、この後者の標高531mの山を指すことが多い。これら両方の山の原始林が、国から天然記念物に指定されて樹木の伐採禁止などで環境が厳重に守られている。
 同じように、川とだけ言えば豊平川のことを指す。北向きにほぼ直線で流れて市街地を東西に分けている創成川の方は人工の河川である。京都の人間が札幌に引っ越してきて最初に覚える違和感の対象は、瓦屋根がほとんど見当たらないことでも、寒さでも、雪でもなく、川が南ではなく北に流れていることである。まるでX-Yの座標軸を上下逆さまにされたまま逆立ちして歩かされているようで、頭に血が上りっぱなしのような感覚にしばらく慣れない。
「川っちゅうもんは、南に向かって流れなあかんもんなんやで」
 豊平川の東にも高校は何校もあるが、それらの高校のひとつの一部の運動部では、基礎体力をつけるために、部員が遠くこの藻岩山の麓まで頻繁に走っていた。最後は市電事業所近くの急な石段を上がり下りしてから、帰りは女子高の前をなぜかスピードをうんと落として通り、その日により、どれかの橋を選んで東側に戻るのである。いったい何海里、いや、陸だから普通にキロメートルの方がいいだろう、何キロメートルをランニングしていたのだろうか。それらの橋の下を秋にはサケが遡上してくるし、クマもゴルフカートで現れてはサイクリングロードの横でサケを横目で追いながらネットサーフィンをしている。長距離走で疲れ切ってしまい練習本番用の体力など残っていないクラブのメンバーたちがヒーヒー言いながら高校のグランドに戻って西の方角を振り返ると、藻岩山山頂の展望台は市電路線の南西角からとは仰角が大きく違って見えるのであった。
「おい、期末テストどうする?」
「どうするって、どうにもならんしょや。毎日こんなに走らされたら、うちに帰って何にも勉強なんてできない。それより、腹減ったからコンビニで肉まん買って食べよう」
 円山登山道入り口から少し入った所に根元が腐ってきていて倒れかけている大木が数本ある。そのうちの2本の影になっていて登山道からは目立ちにくい場所で、世を忍ぶカップル同士が倒れかかった姿勢で抱き合っているのが見え、ワンコたちが一斉に吠えて駆け出した。多勢に無勢で引きずられそうになって危険である。獲物じゃないんだよ、こっちに戻りなさい。ミーに叱られてしまったので、6頭のイヌ松くんたちは揃って斜めに立ち上がってシェーをしたざんす。カップルも倒れかけた姿勢のままシェーをしていたざんす。
 高さ225mの円山は住宅地に囲まれており、その登山道は、ほんの30〜40分で登れるお手軽な運動コースである。その条件を活かして毎日登山している住民がいる。これは毎日下山しているということでもある。山を下りるということでツァラトゥストラを思い出すが、そうでなければ、あの狭い山頂に人間が混み合って夜を過ごすことになる。とは言え、登山部に対して、下山部というクラブは誰も耳にしたことがない。もしあったら、部員たちはまず山の頂上にヘリコプターで運んでもらってから、登山道を下りてくることになる。あまり共感を得られない活動形態であろう。
 息が荒いまま、スティーブ・マックイーンの出演していた映画のテーマ曲を頭の中で想像で演奏しながら事務所に帰ると、弁理士の先生は資料室から大きな書類のファイルを取り出してくるところだった。広い作業用のテーブルのひとつには、特許庁からの書類が複数未開封のまま置かれていた。
 この円山のさらに西には大倉山スキージャンプ競技場がある。兄が言っていた。2連休の初日に、弁理士とふたりで覚悟を決めて犬たち全部をこのジャンプ台前まで引き連れていったときには疲れ果ててしまい、犬たちにヘルメットを被せてリフトで上に上がり、スキーを履かせて、次々と跳ばせて、最後はパラシュートで犬舎まで戻すことができれば良いのにと思った。尻尾軍団が舌を出しながら空を飛んでいる最中に時速1,000kmのウルトラ突風が吹けば、太平洋をあっさり越えさせて、カナダかアメリカのどこかの広い州まで6頭全部吹き飛ばして厄介払いができるな。風神、雷神、手加減なしのメーキャップをして出て来ませい。はい、出てきました、ピュー、ピュー。こんな空想をする兄は優秀なのだろうか、それともアホなのだろうか。もう放送局には戻れないんだ。弁護士業に向いていればいいが。
 この兄とは敵対するというのではないが、やや微妙な関係が続いている。でも、何か困ったことがあったら、兄ちゃんにやってもらうんだ、オレ。だって、ボクちん次男坊〜。
(「お前のことなんか知らんぞ。お互いとっくに立派な大人なんだ。自分で何とかしろ」)。
(へいへい、兄上様)。
(オレもいっぺん弟なるものになってみたい)。

第167章 小春ちゃんの弟 https://note.com/kayatan555/n/nafc261b59430 に続く。(全175章まであります)。

This is copyrighted material. Copyright (C) 2018-2024 by 茅部鍛沈 Kayabe Tanchin « Kayatán », 新 壽春 Atarashi Toshiharu. Sapporo, Hokkaido, Japan. 石狩湾硯海岸へ接近中は、新 壽春の登録商標です。All rights reserved. Tous droits réservés.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?