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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第81回 第66章 内浦湾への危険な周航

 この毎夏8月15日前後の土日2日間に開かれることに決まっているヨット選手権大会が今年も開催されようとしていた。遠くカナダ、アメリカを含む約10カ国からチームが参加を表明している。賞金はクラウドファンディングで集まっただけ全部進呈という豪放なものである。ただし、事務局を維持したり、当日の警備をしたり、といった必要経費および合理的な最小限の範囲の積立金は別である。ちなみに昨年は優勝チームに184万円ほどが授与された。中間報告で、今年度は7月15日現在ですでに500万円を超える額が入金している。これは、スポーツ庁長官からの働きかけで、この選手権への寄付が本年から全額免税扱いされることになったのが大きいと見られる。その後も寄付額は増加し続けており、レースのテレビ生中継中にも、売り出し中の複数のアイドルが笑顔で呼びかける予定になっているので、おそらく今年の優勝チームは少なくとも400万円は受け取れるものと予想されている。
 少し性格は異なるが、懸賞金は世界に顕著な利益をもたらしてきている。安全な航海に不可欠な経度測定法の発見はイギリスが報奨金を出して促進した成果であったし、缶詰はナポレオンが軍の糧食用として募集した懸賞に応募した発明家が発明した瓶詰めを別の人間が金属の容器に置き換えたものであるし、リンドバーグの大西洋初横断飛行もオルティーグ賞の25,000ドルの賞金目当てであった。
 ちなみに、日本国内で缶詰が初めて作られたのは長崎であるが、明治政府の命令で大量生産を目指して工場での生産が始まったのは石狩であった。しかも、その前年に札幌農学校のクラーク教頭と開拓使石狩缶詰所の通訳が鮭の缶詰計25缶を試作した記録がある。石狩川産のサケの缶詰は、1878年にパリで開かれた万国博覧会に出品され大好評であった。だが、ドイツのゲッティンゲン大学で化学の博士号を取得したこのアメリカ人教師が、“Boys, eat canned salmon.”と言い残したかどうかは定かでない。わー、話がまたまたひどくずれてしまったでござる。このように、本筋からたびたび話題が外れようとするビョーキのことを三ヶ月湖症候群(crescent lake syndrome)という(ウソ)。
 このレースの関連行事には年間サイクルがあり、4月から5月にかけての連休明けにはその年度の主題曲が発表されることになっている。今年も5月8日に室蘭市内で公表・初演奏された。当選したのは秋田県の17歳の女子高校生であった。某ファッション誌の読者モデルを務めているため、新幹線や飛行機で東京通いをしている。競争の激しい業界であるためメジャーにのし上がるのが簡単でないことは承知ではあるが、その母親は、乗りかかった船、もう思い切って東京に移ってしまった方が娘の今後の人生の可能性を広げるために望ましいと考えて、夫を落とす説得を続けている。芸能人コースのある高校も密かに見学した。
「この際、わたしも娘と一緒に東京に住むの」
「オレはどへばいいの?」
「米次郎の朝晩の散歩お願いね」
「寂すいのっす」
 あと一息だ。でも、この父ちゃんが不憫だのっす。な、米次郎?
「くーん、はっはっは」
(「のっす」は、このお父ちゃん個人の口癖で、秋田のことばという訳ではありません)。
 賞金25万円に加え、作詞・作曲をした本人指定のスターからレース2日目に優勝チームのための表彰式会場のステージ上でハグされる権利(きゃー、きゃー)、そして副賞が旅行券10万円となっている。こちらの資金は別枠のクラウドファンディングで集められる。映画Treize jours en Franceのテーマ曲に限らず、音楽の力は大きい。
 その希望するスターに、ちょっと事務所的にNGなんでと拒絶された場合は、代行が担当する。ゲッ。
「さあ、私を山田くんと思って。ご遠慮なく。お目々閉じれば男は同じ、今朝もシャワーを浴びました。リンスの香りが素敵でしょ」
「やー、めー、てー」
 石狩川三ヶ月湖医科歯科父ちゃん一杯薬科大学のヨット部は毎年このレースに参加していたため、部員の僕らは、石狩湾北沿岸公設ヨットハーバー「武四郎の首飾り」の近くにある大学の艇庫から、内浦湾までヨットを運ぶ必要があった。これは難物であった。2つの方法があった。1つは積丹半島、松前、函館沖、恵山を経て実際にヨットを操船して運ぶことであった。これは時間がかかり、危険であるが安い。もう一つは陸送であり、トレーラーを借りて自分たちで運送するか、あるいは輸送会社に全部任せてしまう方法であった。警察の許可が必要になるかも知れなかった。大型自動操縦ドローンで浮かせて山を越えることができれば一番楽なのだが、今のところそのような可能性はゼロである。帆走を続けるためには冒険家並みの体力と運が必要であった。さあ、どーする。自分たちで海上を移動するなら、わずかな予算しかかからないだろうが、相当苦しそうであった。だけど、運送を頼む金なんてないぞ。
 この直径約50kmの周囲4分の3を陸地に囲まれている湾は、最深部がわずか100メートルほどの浅い海であり、世界一深いマリアナ海溝の10,911メートルに比べれば深度が1%未満の浅さである。しかも、その中心都市の室蘭が新千歳空港と鉄道、高速道路、一般道で結ばれたマリンスポーツの素晴らしい適地である。この湾は海のニセコである。「黄金の直径30マイル」に巨大な可能性が秘められている。
 部の顧問の先生に相談しても、何ら実質的な関与はないであろうことは予想できた。いつもそうだったからだ。しかし、それでも万が一の事態を考えれば(死亡事故とか)、事前にお伺いを立てておくべき重要案件だったため、部から3人、この先生の研究室にお邪魔した。すると、本当にお邪魔だったらしく、30歳を少し上回った女性秘書を膝の上に乗せて、「こないだは楽ちかったでちゅねえ。今度はどこ行きまちゅか」とじゃれ合っている最中だった。
「な、何だ、チミたちは」
 どっか違うところでやれよ。用件を手短に伝えると、実務的・形式的な承諾があった。これで、好きにやれる。

第67章 海路、室蘭西港を目指す https://note.com/kayatan555/n/nf17d456dc6e1 に続く。(全175章まであります)。

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