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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第207回 第173章 数カ国語で考える

 Alte Kameradenのサビの部分、wahre Freundschaft(真の友情)で始まる下りが繰り返し耳に響く。ドイツ語の歌詞が一言一言琴線に触れる。音楽に限らず、ニュースを含むドイツ語を聴いているときも、他の言語が脳に入り込む隙はなくなり、ボクの思考はすべてドイツ語のみに純化する。その初夏の小川の流れに身を委ねるような感覚は、数学や物理の問題を解いているときのすっきりとした快感に似ている。ドイツ語で読書し、思考し、執筆する能力は、日本語、英語に次ぐ水準にある。18歳からの数年間の猛勉強の成果である。これに対して、フランス語は化学に近いであろう。これらは、あくまでもボクだけの受ける感じ方であり、なぜそうかという論理的な説明ができるわけではない。
 オランダ語、スウェーデン語、イタリア語、ロシア語も、聴いたり読んだりするときに受ける印象はそれぞれ異なっている。基礎文法、基礎単語しか知らないこれらの言語で考え始めると、ボクはそれぞれオランダ人、スウェーデン人、イタリア人、ロシア人に変わるのだ。 
 考える言語が何かのきっかけでフランス語に移ると、数回短期滞在したことのあるパリのあちらこちら、特にChâtelet付近を思い出す。セーヌ川が下流の西に向かって流れてゆく。神楽坂のあの広くない車道のように、時間帯により一方通行の方向が交互に代わるのなら、ある時刻から東向きに溯って流れ始めるだろう。アルマ橋のズアーブ兵像がその度に逆流の波飛沫を浴びるのではないか(「あれま」)。屋形船ならぬバトー・ムシュが夜間に発する強い照明がイカ釣り船の光のように見える。ルーブルが、オルセーが、くっきりと浮き上がる。Je suis Parisien, moi aussi. Ich bin auch Pariser. Ik ben ook een Parijzenaar.

第174章 海辺から自宅マントルピースでの焚き火へ https://note.com/kayatan555/n/n687c54a62fae に続く。(全175章まであります)。

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