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昔むかしの就職活動(1)4大卒女は門前払いの頃

こんにちは。日頃は旅日記を投稿しているKatyです。
引退してから昔のことを振り返って記録することを始めています。
就職活動での皆さんの奮闘の記事を拝見して自分の時はどうだったけなぁ。。。と約40年前のことを思い出してみました。

1980年代。当時は男女雇用機会均等法なるものはありませんでした。

大学4年生の10月1日が就職活動解禁日。
世の中のことを何も知らず、9月に入っても夏休みから続いている沖縄でのバイトを続けていたワタクシ。
たまたま、同級生に電話をしたら、「アンタ、何やってんの。就職の準備しないと間に合わないよ。」と言われて慌てて東京へ戻るという大ボケぶり。

9月の半ばに大学の就職課に行ってみたら。。。
「遅すぎますよ。」と怒られました。それでも就職したい意思を伝えて登録を済ませ、募集要項を見せてもらうことに。

就職課のホールには企業が大学宛てに提出している募集要項が10センチ角の
紙に書かれて(手書き)ベニヤ板に貼ってある。学生達はそのなかから自分の行きたい会社にアポをとる。

募集(男子)のエリアには20枚くらいのベニヤ板にびっしり紙が貼りついている。
すごい数。商社、金融、メーカー、流通など業種別になっていた。
それで、女子はどこに?と探してみると。。。

ずらっと並ぶ男子用の掲示板の端っこに女子用ベニヤ板一枚。
その一枚の半分くらいに紙が貼ってある。

つまり募集はこれだけ。男子との差はあまりにも大きい。
確かに私が通っていた大学は女子が少ない。教養課程のクラスは全50名のうち、女は5人だけだった。
それでもねぇ。。。

当時は女子短期大学全盛時代。高校の同級生で短大に進学した人達は皆、超一流の企業にバンバン内定を取っていた。
彼女たちの会社での役割は企業戦士の男性社員のお嫁さん候補である。
そんな時代だったのだ。キャリアなんていう言葉もない。

さらに! 4大卒女の場合は学校指定があった。
4大卒を募集しているという会社に電話をしてみると、
「女子は慶応か上智か青山のみです。」とはっきり言われてしまった。
まさに門前払い。応募することすら断られるのです。

心が折れるとはこのこと。あまりに厳しい現実に就職をあきらめて故郷へ帰るという友人もいました。

私の場合は帰る故郷もなく、何としても就職して生きていかねばならない。
数少ない募集要項を見つめてメモを取り、電話をかけまくる日々。

電話をして断られても履歴書を持って会社に押しかけたり
アポが取れなくても説明会にもぐりこんだり。
そうこうしているうちに、同じような境遇の女子達といろんな会社で何度も会うようになる。
携帯電話も、インターネットも、メールもない時代。
戦友のような彼女たちとの会話が貴重な情報交換となった。

そして、ようやく数社と面接をすることになったのでした。

苦難の道はまだ続きます。

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