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妊婦:切迫流産・切迫早産から予定日に安産まで

出産までに私が体験したことです。

腎盂腎炎、切迫流産、ウテメリンの薬疹、切迫早産、子宮経管無力症、子宮頚管縫縮術、妊娠7ヶ月目の破水疑惑、子宮頚管縫縮術の抜糸

妊娠3ヶ月目から微熱と風邪を繰り返し、妊娠5ヶ月目にはついに高熱で入院。結局入院生活2ヶ月、安定期に入るまで2ヶ月は自宅安静で過ごす大変な時期を過ごしました。

まだ妊娠の折り返し地点で、入院生活が始まり、

「このまま無事に生まれるのかな?」「もし、早く生まれすぎたらどうしよう?」と不安になっていましたし、

「何もしないなんて生きてる価値がないのでは?」と入院中も自宅安静中も思い悩んで涙したものです。

同じような境遇でこれから出産を控えてる方の励みになればと思っています。

無事に予定日通りに、安産で出産することができたので!!

<妊娠3ヶ月目>

とにかく微熱と風邪に悩まされていました。

頭も回らないし、仕事への意欲が削ぎ落とされて行くようで今までの仕事に対する情熱の変化に自分の気持ちの整理に時間がかかっていたように思います。

仕事も部署を一つ任されていたので、今後の役割をどうするのかでもかなりストレスを抱えてた時期でもあります。結局、降格と降給にもなったので経済的不安もありました。

<妊娠4ヶ月目>

仕事面での役割の調整と、自分の気持ちの整理ができてきた頃です。

産休に入るまではしっかりやることはやって産休に入ろうと決意を新たに頑張っていましたが、突然高熱にうなされます。

最寄りの内科で妊娠中でも飲めるカロナールを処方してもらって飲むのですが、効き目がなくなるとまた熱が出るというのを繰り返していました。

それも結局10日間続くことに。。。

結局は出産予定の総合病院に診察に行った時に感染症科の先生に検査してもらって、「腎盂腎炎」の診断をもらい炎症を抑える点滴を投与し始めました。

妊婦でなければ薬の投与でも治るらしいのですが、点滴治療のほうがいいとのことで入院して2週間1日3回の点滴をすることになりました。

入院中に妊婦検診も受けて「切迫流産」の診断を受けました。

高熱も治り、炎症反応もよかったので、自宅安静を条件に退院することになりました。

お腹の張りを抑えるために念のため「ウテメリン」の錠剤を処方されました。

その後「ウテメリン」で薬疹が出てしまったがゆえに、3分おきにお腹が張りかつ痛く、退院5日目にして再度入院に。

今回は先生より2ヶ月以上の入院になると言われました。

「ウテメリン」の代わりに「マグセント」の24時間点滴投与が始まります。。。

<妊娠6ヶ月目>

マグセントの副作用は、だるさと血管痛が出ました。

投与を始めてからは張りが抑えられたのですが、だるさと血管痛で夜も寝れずぐったりする日々を過ごしてました。

もともと血管も細く点滴を取るのも一苦労な上に24時間点滴している分血管が脆くなりやすく2、3日持たずに挿し直したりと大変でした。

血管痛は薄めて投与することでだいぶ緩和されました。

鉄剤の点滴投与もあったので、一時期は点滴が2箇所刺されていてご飯食べにくかった記憶があります。

<妊娠7ヶ月目>

入院していた病院は出産予定の病院でした。

そこではNICUがないので、もし切迫流産時期から切迫早産時期に切り替わる時期になったら母体搬送で転院しましょうと言われていました。

そこで、24日0日で救急車で他の病院へと転院することなりました。

そこではMFICUの病棟に入院。部屋が広くなったのは嬉しかったのですが、重々しい雰囲気はちょっと嫌でした。。。

病院によって色々方針が違うようで、私の入院生活が少しだけ変わりました。

前の病院では、部屋以外は歩くの禁止、トイレに行く場合には車椅子で移動、マグセント投与は正期産に入るまでやる勢いでした。

新しい病院ではトイレまで歩行OK、マグセントの投与も中止でした。

点滴生活から解放されたのは嬉しかったですね。

それによって、多分子宮頸管は短くなったのはありますが、おかげで縛る手術をすることになったので、結果オーライではないかなと。

新しい病院で入院中は毎日診察がありました。ある日突然、先生がびっくりした顔でエコーの画面を見ていてすぐに別の先生が呼ばれたのですが、経管の長さが6mmしかないことが判明しました。

診断は「子宮経管無力症」で手術した方がいいとのことで、翌日の手術が急に決まりました。

下半身麻酔で、意識はある状況の中で手術されました。

全身麻酔はしたことあるのですが、下半身麻酔は初めてだったので結構緊張していました。「痛みはなくても何かされてる感覚はあるのかな。。」とか「恐怖でパニックになったりするのかな?」「麻酔解けた後って痛いかな」とかとか

実際は手術中は特に順調に進み、先生も看護師さんも明るい雰囲気だったので安心して過ごせた気がします。

術後は麻酔が切れてからはもちろん痛くて悶えました。人と話すのがしんどいレベルですね。痛み止めを点滴で投与してもらっていたのですが、効き目が切れた頃にちょうどよく担当医師が様子を見に来てくれたので、痛いことを訴えて痛み止めをさらに投与してもらって楽になりました。

確か24時間は歩行禁止でした。

ただその夜中に看護師さんが術後の箇所を見てびっくりというか焦っている様子で先生を呼び始めました。どうも「破水」してるっぽいと。

私は寝ぼけてたのもあってか、なぜか至って冷静で、「そうか破水か」くらいにしか思っていなかったというか、破水の重大さを分かっていなかったから冷静でいられたのかもしれないです。

その後は、また別の先生が何人かきて、緊急に赤ちゃんの肺機能を促進するためのステロイド注射が緊急で打たれて、様子見になりました。

その後は経過も良好になったのでMFICUから一般病棟に移り数日で自宅安静に切り替わりました。

その代わりに毎週病院で外来で様子みることに。

自宅安静なのに毎週移動してんかい?と思いましたが、短いスパンで赤ちゃんの様子が知れるのはむしろありがたいからいいかと前向きに捉えるようにしていました。

<妊娠8ヶ月目>

自宅安静に切り替わって、何をどう安静にしたらいいのか最初は戸惑っていましたが、安静生活にも少しずつ慣れて行きました。

調子がよければちょっとお出かけもしてましたが、お腹が張ることに対して神経質にもなっていたのでお出かけがストレスに感じてしまう時もありました。

<妊娠9ヶ月目>

経管は短いまま、時間は着々と進み、無事に正期産まで辿りつくことができました。

次の恐怖は、「子宮頚管縫縮術の抜糸」です。

麻酔なしでするってのは知ってしまっていたので。。。

その日が近くの嫌でもありました。。。

37週0日でやりましょうと先生と話をして、前日に入院して抜糸を行いました。そのまま生まれることもあると聞いたことがあったので、むしろそのまま生まれてもいいかもなーと思っていたのですが、何事もなく1泊2日で退院することに。

この時点で3cm開いている状況ではありました。

病院の看護師さんはいつ生まれるのかハラハラしてくれていたようですが、外来で見てもらってる間も5cmになりましたが陣痛が来ている気配もなかったので刻々と予定日が近くのを待つ日々でした。

結局は予定日前日の診察で6cm開いていたので、そのまま入院となり入院した夜にすぐ陣痛が始まり、出産に至りました。

夜の陣痛は一度勢いが治ってしまったのですが、夜中の3時に本格的に陣痛が始まり朝方には無事に子を産むことになりました。

色々な苦労を経て生まれてきてもっと感無量で泣くかと思いましたが、生まれたことよりも自分の体力の限界に「寝たい」の思いが7割以上を占めていました。

<最後に>

本当に心折れそうな日々でした。

終わりが無いように思える入院生活や安静生活。

他の妊婦さんが安定期に楽しんでるのかなと思うと悲しくなったり、入院も長くなると何よりも金銭面での不安もありました。

あとは子供がもし早く生まれてしまったら、夫や夫の家族、自分の家族に申し訳ないという気持ちで泣いた日もありました。

自分が無能に思えた瞬間が多い日々でもありました。

でもその中で前向きになれたのは、以下のことを心がけていたからかと思います。

泣きた日は泣く。不安な感情を溜め込まないように自分なりに発散するようにしていました。

あとはいい結果を想像できるような記事や情報を収集するようにしていました。ただでさえネガティブになりやすい時期だったので、ネガティブになるきっかけを作らないように意識していました。

これから出産される方も不安を抱えるかと思います。

少しでも私の経験が参考になれば嬉しいです。

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