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建物を描くのが苦手だった小学校の頃

こんばんは。

ちょっと前にふと自分の特技ってなんだろう?と
思い考えました。

今回の記事は、日本中がWBCに沸き立っている頃に
書きかけたもので、下書きしたまま忘れていましたが
今日思い出してアップします。

あの時期はにわか野球ファンの私でさえ、
大谷さんすげ〜ってなってました!!

大谷さんは、小学校の頃からの夢を叶えたのかな〜などと思いつつ
私も小学期の頃からやってみたかった仕事につき、
なんとか生活できるようにプロとしてやっていけてるんだから
私も大谷さんと一緒じゃ〜などと勝手に思ったりもしています。
稼いでる金額はまあ雲泥の差ですが。

娘が小学生になり、小学校のアルバムを見せてほしいというので、
引っ張り出して一緒にみました。

好きだった男の子はこの人だよ!と指差すも一喝。

「全然カッコよくない〜」
げ、しつれいな言い草。

昭和のモテモテ君も、令和の小学生にはウケなかったです。
ピッチピチの半ズボン(というかホットパンツの様なあれですよ)を
はいてる小学生は令和にはもういない。昭和の懐かしい想い出です。
よくアルバムを見返すと流石に6年生であれはいてる子は
ほとんどいなかったですが低学年の頃はよく見てたなー。

そんな小学校時代の最後の想い出として作った文集があります。
卒アルの半分はその文集でした。

1人づつの想い出を綴った作文と写真。
クラスごとの表紙にはイラストと教室を上から見た俯瞰図。
その中の自分の机の場所がマスになっていて、
自分のプロフィールを直筆で書いています。

初めて描いた教室の俯瞰図



この俯瞰図を描いてほしいと
担任の先生に頼まれました。
なんだかものすごく嬉しく張り切って描いた気がします。

あとクラスみんなの似顔絵と先生のイラスト。

※タイトルに使ったイラストは文集の表紙です。
長崎の修学旅行とか自然教室イメージなど、
拙いですがなんか頑張って描いてます。
先生がタバコくわえているのは、今ならアウト表現かも笑
それはいろんな箇所にまぶされていました。

俯瞰図の消点のとり方など知るわけもなく、はちゃめちゃな絵になっていました。
今みると描き直したい〜。

別クラスに「さくらちゃん」という絵のとても上手い女の子がいて
その子も文集にイラストを描いてたんですが、
段違いにうますぎて落ち込んだものです。
先生やクラスの子達を2頭身のキャラにして
漫画風にいろんなシーンを描いてて
将来漫画家にでもなるのかな、と思ったり。

今もイラストの仕事をしているそうですが、直接作品は見た事ないので
お互いに絵を描くことで暮らせているのかなと思うと感慨深いです。

私は純粋なイラストではなく、建築物と人を絡ませた
主に建物が主体の未来予想図を描く仕事がメインなのですが
小さい時は建物とか描くの苦手だったなー。

そりゃそうですよね。
小学生の時は、いろんな服をデザインしたりポーズを取ったりなど、
女の子の絵ばかり描いていました。

何年生か忘れましたが、クラスの可愛いスクールカースト上位の女の子に
一冊ノートを渡されて「ここに全部絵を描いてほしい」と
言われたことがありました。

その要望に応えたのかどうか記憶はないですが、
なんか一生懸命毎日そのノートに
女の子を描いていた気がします。
今見てみたいな〜とか思いますが。

そんな小学校時代。
りぼんの漫画をそのままコマ割りまで真似て模写したり、
学級新聞を勝手に作っていたり(確か4コマ漫画なんかも描いてたと思う)
その時は確か小4とかで、その時の担任の先生が6年まで一緒だったので
文集の絵を頼んでくれたりしたのかなーとか思い返しています。

世の中に天才的に絵が上手い人はたくさんいると思いますが
私はそんな小学校の頃の出来事や好きで描いていた絵を活かした仕事が
できているんだなーとこんな歳になっても原点はあそこだったんだな、と。
とことん突き詰めずに細ーく長ーく続けるのが仕事のコツなのかなとも思います。

飽きずに20年以上同じ仕事ができているのも
手描きから始まり、絵の具やエアブラシ、水彩紙などの道具を使ったり
今は液タブで大量の修正に対応しながらなどいろんなタッチの変化や
新しいガジェットの習得など、いろんな変化があったからだと思っています。

これからも基本である『夢のある設定』を忘れずに
人々が集う楽しい場所を想像できるような
パースやイラストを描いていけたらいいなと思っています。

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