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車が壊れたけど、ラッキー?

家族のことでちょっとバタバタしていますが
それすらも、すんなり話が進んで
ほんと、集合意識のはからいに感謝している日々です。

ラッキーをどうとらえるか?というお話を
先日のわが家のエピソードを交えてお話したいと思います。


わが家は、夫婦そろってクルマ好きで、
先日、私の車を20年落ちのレガシィに買い換えました。

先週末、そのレガシィで、やっと夜の山ドライブに行くことになり
自宅から片道20kmほどの距離を走ってきました。

その帰り道に、問題が発生。
クラッチが滑り出したのです!

私が運転していて「ちょっと、半クラしすぎやで」と夫に言われたけど
「いや、もうクラッチ離してるねん!!」と伝え
そこで何か異変に気付き、運転を交代してもらって
そこでやっと、クラッチが滑り出していることに気付いたのです。

クラッチについて簡単にお伝えすると、
エンジンの回転を、クラッチディスクという円盤同士をくっつけることで
タイヤの回転に伝えるのがお仕事なのですが、

このクラッチディスクがすり減ってしまって、くっつけてもズルズル滑ってタイヤの回転に上手く変換できない状態が、いわゆる「クラッチが滑った」という状態です。

無理にクラッチをつなごうとしても、エンジンの回転数だけが上がってしまいます。

20年落ちで、おそらくクラッチパーツは交換していないだろうから
いずれは交換する予定でいたのですが、
思っていたより早いなー!という感じです。

ここで私は何をしたか

「帰れるかなー不安だよー」という感情のケアと、
「JAFを呼ばずに、事故なく安全に帰宅できる」という意識設定
大きくはこの2つです。

そして、結果的に、夫の運転技術のおかげで
ハザードを付けて徐行運転をしながら
無事に家まで帰り切ることができました。

それでも、徐行運転しながらの20km近くはとてもとても長い道のりでした。

この出来事をどう捉えるか??

ふつう、車の故障はラッキーかアンラッキーかでいえばアンラッキーです。

いつかは変えないといけないので交換費用の出費は分かっていましたが
それでも出費痛いなーとか、

後から振り返ってみればあの症状、この症状もクラッチ滑りの前兆だったのか?
もっと早く気付けばよかった、とか
それも思わなくはないのですが

「今このタイミングで壊れてくれるなんて、なんてラッキーなんだろう!」です。

もし、私一人だけで出かけているときに壊れたら。
上手く操って帰宅することはできなかったかも。
(ロードサービスを呼んだとしても、それはそれでいいんだけどね)

もし、高速で1時間かかる夫の勤務先で壊れたら。
帰ってくるのはさすがに厳しかったと思います。

もし、昼間の故障だったら。
通行量が多い中での徐行運転は、事故のリスクが高いです。
(そのときは運転をあきらめてロードサービスですね)

もし、次の用事があるときの故障だったら。
予定に間に合わない、この車どうしよう、ってもっと焦っていたと思います。

そんなことがなく、
通行量が少ない夜間に、夫と一緒に乗っているときで、次の予定がない(帰って寝るだけですから)タイミングで壊れてくれたのは、ほんとにラッキーなんです。

まあ、山を登ったのがトドメになって壊れたんですが、
その日に山に夜ドライブに行ったことも含めてのラッキーなんですね。

おわりに

ラッキー=楽しいこと、とは限らないんですね。
そして、何でもラッキーと捉える=悪いことに目をむけない、でもありません。

次に活かせる教訓があれば活かしつつ、
それも含めて「教えてありがとう」と思いながら
出来事の必要性を肯定していけると、
日常への感謝がどんどん増えていきます。

あなたの、今日のラッキーはなんですか?

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