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肩書きのない私が、これから大切にしたい軸 〜趣味以上、仕事未満の学び〜

「個の時代」「フリーランス」「複業」「パラレルキャリア」といった言葉が溢れている今日この頃。

次の十年、自分はどうやって身を立てたら良いんだろう?なんて、悩んでいる人は多いのではないか。

わたしもそんな人間の一人だ。

直近二年の間に「会社員」「会社員 × 複業」「フリーランス」の三つの働き方を経験しながら、「これからの働き方」や「自分のあり方」についてずっとずっと考えてきた。

その中で、特にわたしを悩ませてきたのは

自分にどんな肩書きをつける?

という問題だ。

一言で自分をあらわす肩書き。考えても考えてもしっくりくるものが思い浮かばず、違和感しか出てこなかったのだが、最近ようやくこの問題に納得のいく自分なりの解答を得た。

同じようなことに悩んでいる人の参考になったらちょっと嬉しい。

あと、わたしのことをふんわり知ってる人が読んでくれたらもっと嬉しい。

(「肩書きの付け方」みたいなHOWの話ではないので、あしからず。)

会社を辞めたら、自己紹介ができなくなった

肩書きに向き合うようになったタイミングは二つあって、一つは「複業を始めたとき」、もう一つは「会社員を辞めたとき」だった。

社会人同士の自己紹介とは「会社名と所属と自分のやっている業務を説明すること」だったりするので、所属が一つでなくなったり、やっていることが多岐に渡ってくると自己紹介が非常に面倒になってくる。

さらに、ビジネスのレイヤーだけで生きるのをやめてからは
「何している人ですか?」
と聞かれても言葉に詰まってしまい、一言で答えられなくなった。

わたしのキャリアはあまりにも散漫としていて、肩書きのつけようがないからだ。

いまはフリーランスとして働いているのだが、元はアパレルの販売員、WEB開発、それからコミュニティマネージャー、旅、podcast、あとは、ときどきヨガインストラクター・・・

それで...どうやって食べてるの?

と、めっちゃよく聞かれる。

「どうやって収入を得ているのか?」
と聞かれたら
「フリーランスでWEBのフロントエンジニアをしています」
という答えになる。

そうやって答えれば、その場は必ず収まる。しかし、そうやって答えると、わたしはちょっとモヤモヤしてしまう。

「何を飯のタネにしているのか」それだけが自己紹介というのはどうもしっくりこないのだ。

そんなのはエゴだとは分かっている。
でも、とにかくしっくりこなくなってしまった。

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昨年、身体と心を思い切り壊してから、わたしはガラりと働き方を変えた。

それまで会社とフリーランスを掛け持ちしていたが、退職し、フリーランス一本に。

働く時間も意図的にかなり減らした。

今は、WEB開発の固定案件を週に2〜3日こなしながら、残りの時間を  「お金にならないけれど、自分が純粋に楽しいと思えること」に割いている。

いくつかのコミュニティに所属したり、その中でプロジェクトの立ち上げをしたり、とにかく「なんかこれ楽しいな」と思えることに関わるようにしたのだ。

それはもう「趣味」という言葉で片付けたくないくらいには、自分にとって大事なことだったりする。

わたしが「わたし株式会社」だとしたら、
WEBエンジニアという事業でキャッシュを作り、そこで得たキャッシュを別の事業に投資している、そんな感覚である。

こんな風に説明すると格好がつくのかもしれないが、実のところ純粋に遊んでいるだけかもしれないし、この先それがお金になるかどうかは分からない。

しかし、これらの活動が「趣味以上」になってきているのは確かなことだ。

「趣味以上、仕事未満」がたくさんある。

そんな中途半端な状態がずっと続いてきたわけだが、たくさんの「趣味以上、仕事未満」を試していくなかで、それなりの学びがあった。

自分が何かを好きになるとき、それはなぜなのか。
自分が本当に居心地が良いと思える場所は、どうして心地がいいのか。

それが、とてもハッキリした。

わたしは 「生きづらさ」 をなくしたかったんだなあ

ここで言っている「生きづらさ」とは「社会通念としての当たり前にハマれない辛さ」である。(「心身の健康の喪失」という生きづらさもあるのだけれど、これはまた別の機会に書きたい。)

「学校に行くのは当たり前」
「大学を卒業したらすぐに就職しないとダメ」
「女は結婚して子供を産んで一人前」
「年収はなるべく高い方が幸せ」
「週5日40時間働くのが当たり前」
「女性は男性を、男性は女性を好きになるのがフツウ」

世の中には色んな当たり前がたくさんあって、そんな当たり前の枠に収まれない時、人は「生きづらさ」を感じると思う。

わたしは、不登校の時期があったり、就職活動もろくにしなかったり、会社もまともに行けなくなったり...そういう弱い人間だ。

そんな弱さに寄り添ってくれたのが、「旅」だったり「インターネット」だったり「物語」だったりした。

わたしに、オルタナティブな生き方、つまり、「当たり前以外の選択肢」をくれた。

そして、たくさん試していくなかで、素敵だなあと思うこと、やってて楽しいなあと思えることは、「生きづらさ」に寄り添うようなプロジェクトばかりだった。

だから、自分の生産活動も、「それは生きづらさに寄り添える活動か?」「それは当たり前以外の選択肢を増やす活動か?」という問いを常に掲げていたいと思うのだ。

わたしのモチベーションのありかは、ここだったんだ。

「趣味以上、仕事未満」は、そんなことを気づかせてくれたのだった。

ということで、肩書きはないままなんだけど...

自分の根っこにある気持ちがわかったとき、色んなことが腑に落ちたというか、人生にとても納得感がある。

「ゆっくりでいいから『世の中に当たり前以外の選択肢が増えること』や『生きづらさに寄り添えること』をやっていこう。」
「あと、自分を大切にしよう。」

こんな風に思うようになった。

そういうわけで、現在はWEBエンジニアも続けつつ、MIKKEというコレクティブで「新しい選択肢が見つかるメディア」の企画(※1)、tumugi LABOというチームで「暮らしの知恵を学べるコミュニティ」の立ち上げに携わったりしている。(実際どんなことをしているかについては、後日ちゃんと書こうと思う。)(※2)

さらに、来年は世界一周の旅にも出る予定だ。
働き盛りのこの時期に大丈夫なのか?という不安もあるが、これもまたオルタナティブな選択の一つだろう。(旅についても、後日書くつもり。)(※3)

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肩書きは無理につける必要はなくて
「わたしはこういう哲学で動いています!」
と周囲の人に自信を持って言えることや

根っこで繋がれる人を増やすことが大事なのかな

と思ったりして、こうやって宣言してみた。

そして、地道にこの哲学を持った活動が、いずれ名刺代わりの仕事になるように、愚直にやっていくしかないのだ。

おわりに。
大好きなブログ、鳥井さんの「隠居系男子」の中でこんな表現を見つけた。

近ごろ自分の納得感や心地よさを大切にして、社会の「こうあるべきだ!」という同調圧力に屈することなく、今この瞬間を大切にしながら、“自分らしい”暫定的な解を選び取ることができるひとが増えてきた。

でも、そこで選び取ったものが未来永劫続くのかと問われれば、否と答える。

自分の決断に対して、まだまだ自信を持てていないからだ、と。

人間の成長で言えば、よちよち歩きを始めた赤ちゃんのタイミングに近いのだと思います。

「自分の納得感を大切にして、暫定的な解を選び取ることができるひとたちが増えてきた。」隠居系男子

「“自分らしい”暫定的な解」をようやっと見つけたわたしは、本当によちよち歩きの赤ちゃんみたいなものだ。

この歳で赤ちゃんレベルってけっこう恥ずかしいのだけど、これが嘘偽りのない、今のわたしの気持ち。

顔も名前も知らない人から急に興味を持ってもらえるような鮮烈な肩書きはないけれど、わたしは、そんな肩書きなしでも繋がれる「あなた」ともっと繋がりたい。

※1
2022年現在、MIKKEでは「新しい選択肢が見つかるメディア」のプロジェクトは、podcastのリリース渋谷のコミュニティラジオWEBメディアの連載にまで発展した後、クローズ。

※2
2022年現在、tumugi LABOは、一般社団法人TSUMUGIとして法人化。「自分のも地球にも善い暮らし」をテーマにした生産消費者コミュニティに発展。

※3
2019年〜2020年、実際に406日間の世界一周を経験。その際の経験をもとに書いたnoteは多くの方々に読まれました。


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