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「小さな村の旅する本屋の物語」

すごい本を読んだので勢いで書く。
『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』内田洋子さんの本(方丈社)だ。山村、モンテレッジォから本を行商する人々がいた。読み書きだってできたかどうか。「こういう村からなぜ本を?」彼らはどんな人たちだったのか。
この本は内田さんが監督のドキュメンタリーだ。最初は混乱しながら、でも「行くしかない!」と驀進する。こっちもその熱に引き込まれる。現在人口32人の山里へ、歴史の荒波へ、著者はどんどん分け入っていく。イタリアのいままで名も知らなかった小さな村から本を売って歩いた人たちの肉体、筋肉が目の前に現れる。読み終わってつくづく思う。本ってすごいものだったんだ。

モンテレッジォをめぐる旅は「本」からさまざまな景色を見せる。村山は単一植生の栗の木ばかり。栗の枝で編んだかご、石の教会、どこにでも顔を出すダンテ(内田さんの引用する煉獄篇の一節が良い)、吟遊詩人にイタリア語の誕生まで絡み、満を辞して活版印刷の登場だ。ああ、この流れ、鼻息荒くなってしまう。本に魂が宿っていく。

もし同じ時代に生きていたら。本を売り歩くなんて、きつい仕事だといって嫌ったかもしれない。山を超えて危ない橋を渡る。本を抱えて野宿する。辛いなあ。からだ痛いなあ。ちがう家に生まれたかった、もう逃げたい。当然そういう人もいたはず。けれど内田さんの目線はいろいろなものをつなげて見せてくれる。おかげで読んでいくと救われるような気持ちがした。本は重いもの。背負っているのは家族、村、文化……本は変えてきた。人を、世の中を。それはどういうことか。危険に身を晒しながらときに禁書も売ってきたそのわけは。

たとえばこれから。ぺらぺらの文庫本をカバンに突っ込むとき「旅する本屋」のことを考えずにいられるだろうか。著者が「行くっきゃない!」と突き進んだ熱を、まだまだ味わいたい。読書会とかイベント、ないかなあ…


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