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「おまえ、もう処女じゃないな」と街角で叫ばれた夕方

そのひとは、なんて丁寧な言い方をしなくてもいいだろう。そいつは、夕闇迫る街角で、すれ違いに挨拶をした私を見送り、わざわざ振り返って離れた私に、大声で、低いくせによく通る大声でこう叫んだのだ。

「あ!おまえ、もう処女じゃないな?セックスしたな??」と。

大学近くの学生街の一角。元気な学生たちと、夕方の買い物客の人ごみの中、その声ははっきりと響き渡って、私は硬直した。

あの時私の横にあった銀行の自動ドアの見え方まで覚えている。夕闇が広がっていく街の、一瞬の光を覚えている。

その頃、私は大学生で、新聞奨学生をしていた。朝刊と夕刊を配達して、集金と新規開拓に出て、大学の学費と生活費をまかなっていた。「大学の合間に仕事をする」なんて生易しい状況ではなく、どちらかというと「仕事の合間に大学に行っている」という感覚。

販売店に住み込みなので、まさに職住一体。私は目の前の大学に在学していたから、学業と仕事と生活すべてがその街にあった。私にとってあの街は、夢が実現した街、夢そのものの街、そして地獄でもあった。

そいつは学生街の片隅のアパートに住んでいる、私の受け持ちの新聞購読者。スポーツ新聞を取っていて、集金に行くと必ず何かしらエロいことを言われる。

入学して、担当区域を持って、初めて集金に回った時、薄い扉を開けて「あ、集金ね」と言ったそいつは、暗いムッとする匂いのする部屋の奥に戻って代金を持ってきた。そして、受け取った金額を確認している私を見下ろしてこう言ったのだ。

「おれ、女が処女かどうか見分けるの、得意なんだ」

そして、少し部屋へ下がって私の全身を舐めるようにしばらく眺めて、それからふん、と鼻を鳴らして、誇らしげにこう宣った。

「ねえちゃんは処女だな。きれいだな。まだ誰ともヤッたことないだろう?な?」

18でセックス経験がある方がすごい!という程度に品行方正だった私は、素直に「はい」と答えた。怯えもせず、気持ち悪いとも思わず、ただ「はい」と。

あとになって、過労でぼろぼろになり、精神科の受診を勧められるほどに至って、私は理解する。学業も仕事も生活も、新聞奨学生という制度に集約されていたがゆえに、私は気づけなかったのだ。

気づいてしまったら、仕事が続けられない。仕事が続かないと学費がない。学費がなければ大好きな大学にいられない。仕事を辞めれば借りた学費の一括返済が控えている。それができれば新聞奨学生になどなっていない。

「気づかないで進もう」これが、私が無意識に自分に課した誓約。

私は大学入学という晴れの舞台で、新聞販売という闇深い業界で生き延びるために、自ら蛇を飲み込んだ。ぬるりと。それも自覚せずに。蛇は内側からゆっくりと私を喰っていった。

毎月月末の集金はやってきて、私はそいつのアパートに行き、エロいことを言われ、舐めるように見られてお礼を述べ、礼をして引き下がっていた。

エロいことを言われることは日常茶飯事で、お客さんから言われることもあれば、販売店で所長や従業員から言われることも多く、私の感覚はどんどん鈍くなっていっていた。

言われていることに気づいたら負け。私はここにいられない、という恐怖が常にあって、私はさらにさらに鈍感へと突き進んだ。

あれは確か秋。どうしてその道を通ったのかはもう覚えていない。あの瞬間だけを覚えている。そいつはひとがたくさん行き交う街角で、誇らかに高らかにこれ見よがしに叫んだのだ。

「あ!おまえ、もう処女じゃないな?セックスしたな?」と。

硬直した私が恐ろしいと思ったのは、確かに私がもう処女ではなかったことで、どうしてそれがこのひとにわかったのだろう、ということだった。

夏に私は生まれて初めて彼氏ができて、一度だけ、彼とセックスをしていた。その事実がどうしてこいつにわかるのだろう?それとも誰もが処女と非処女を見分けることができるのだろうか?誰もが私を見て「セックスしました」と読み取るのだろうか。

私は裸で街に転がされた気分になった。服をはがされ、誰もが私の裸の体をまじまじと見ていると思った。

どうやって自分の部屋に帰ったのか、覚えていない。

セックス経験のない、いわゆる処女を「汚れのない」と表現することがある。汚れのない少女、汚れていない娘、清らかな乙女。

この表現を見聞きするたびに、セックスをすると汚れるのだろうか?と考え込んでしまう。私たち子どもは「汚れた母」から生まれたのだろうか。

私は「汚れ」を引き受けるつもりで彼氏とセックスに臨んだし、汚れてもいい頃だとも思っていた。そろそろ自分の品行方正っぷりに疲れてもいた。彼はこり固まっていた私を、初めに解放してくれたひとだ。

それでも、その汚れを他人に街角で、大声で発表されるいわれはない。

この出来事を私はずっと忘れていた。忘れたふりをしていた。他にもいろんなことがあり過ぎたし、もっとひどいこともたくさん言われたから。

この出来事にはいろんな要素がある。

・セクハラとしての被害であったこと
・気づくことができなかった自分のゆがみ
・処女と非処女は見てわかるものなのか?
・処女と非処女の違いは何か?
・セックス経験はひとを変えるのか?
・セックスをすると「汚れ」るのか?

くだらないと笑われそうなものも入っているが、私の疑問は真剣だ。

これから始める解明への道筋に、追究の道に、道しるべとしてこの出来事を書いておこうと思う。

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麓 加誉子

好きなことは、作ること、書くこと、読むこと、走ること。 最近変えること、大好きな自分に気づきました。 フリーで物書きしてます。小中学生3人の母もやってます。Twitter→@Kayoko_fmo

人生の振り返り

思い出話です。
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