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ニュースだけで充分だよ!と思う私は是か非か

これはひとり言。

ドラマやアニメ、映画や小説が苦手だ。もともとは大好きだったし、よく触れていたのに、ここ数年めっきりと観なくなったし読まなくなった。理由はいくつかある。

理由
・泣いたり怒ったりするのが嫌、苦手
・感情が大きく揺れると疲れてしまう
・表現に違和感を感じると、それを解明しないと気が済まなくなるのでめんどう

ニュースはよく観る。ニュースで語られるさまざまな出来事で、私は結構大きく動揺したり、つらくなったり、泣いたりする。

子どもが3人いて、不登校や病気などの課題もあり、子どもたちに関わることに対応するだけでも感情が大きく揺れ動くことは多い。

それだけで充分でしょう?どうして、理不尽や違和感やつらさを、わざわざ好き好んで自らドラマやアニメや小説や映画で感受しに行かなきゃならないの?もう充分。許してよ、という思いは強い。

「許してよ」気になるひと言が漏れ出てきた。

誰に対してだろうか?私は誰に許してほしいのだろう。

こんなふうに避けて過ごしてはいるけれど、私は感情を封じて生きていきたいのではない。感情豊かでありたい。感情の発露である表情も豊かでありたい。

そんな目指す自分に対して、このやり方は正しいのだろうか。私はこのままで良いとほんとうに考えているのだろうか。わからなくなったので検証してみたい。

避けて触れないことで得られるよいこと
・感情が振れない
・落ち着いて過ごせる
・自分自身の感情を大切にできている
・予定外に疲れない
・予定が立ちやすい

私は双極性障害という病気を抱えている。躁状態とうつ状態を繰り返してしまう病気。常に予想外の疲労や感情の波と向き合わねばならない。予定はいつだってキャンセルを考慮して立てるし、実際にキャンセルになってしまうと、ほんとうに落ち込む。

だから、予定を遂行するために、「予定の立たない毎日」を必死で管理している。予想外の疲労が生じないように、予定外の行動は避ける、が基本。そうやって考えると、ドラマやアニメ、映画や小説で予想もできない感情の波に自ら飛び込むなんて、狂気の沙汰。

思いつきでそれらに飛び込まなくなって以来、生活は安定したように思える。

では、よくないことはどうだろうか。

よくないこと(かもしれないこと)
・ちょっとつまらないかも
・感情が滞っている感じがする
・感情の発露が足りない気がする
・感情の表し方を忘れそうな不安

自分でそれらを避けておいてわがままな言い分だけれど、つまらないなあと思わないわけではない。先ほどの「許して」は、そういう自分に対しての言葉ではないかと思う。

そして、感情という自分の体を超えて広がるものに対して、制限をかけているという状態は、ちょっと肩こりがするような、型にはまったような、窮屈さがないわけではない。ちょっとぐーんと伸びをしたいな、という気分。

感情を表現し足りない気もしないではない。さらに、感情はしっかり表現しておかないと、固まってしまうような気がする。真冬のはちみつみたいにかちこちに。感情の価値は、いつも温かくとろけていることにあるような気がする。

以前「表情豊かなひとだね」と褒められたことを思い出す。嬉しかった。

豊かな表情は豊かな感情から生まれる。感情に制限をかけている今の状態は、やはり不自然か。

では、制限を解いてドラマやアニメ、映画や小説をどんどん取り込む、というのは難易度が高い。何か良い方法はないものか。

週にひとつは、感情を揺さぶるものに触れる、あたりがよいだろうか。涙活なんて言葉もあるくらい、感情を発露するのは大切なことで、自然なこと。

窮屈だと感じ始めたということは、やり方を変える頃あいだということかもしれない。ここまで回復した自分に感謝しながら、少しずつ冒険を始めようと思う。

そう、感情を感じることは冒険だ。


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