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最後の晩餐は果物で

そろそろ梨が並びだした。

「梨が食べたいなぁ…。こ~んな大きな梨があってな…。」
亡くなる間際、もう、お白湯しか口にしなくなったおばあちゃんが呪文のように言ってたのを思い出す。
小さい頃、おばあちゃんのお父さんがお土産に持ち帰った、両手で持ってもはみ出すほどの大きな梨。その梨がすごく甘かったことを忘れられないと言うのだ。
「美味しくてな…。」
そう言って目を閉じた。きっとその味を思い出している。
でも、その時季節は冬だった。いくら家のすぐ前が果物屋だったと言っても、梨などどこにも置いていなかった。
おばあちゃんはその幻の梨を口にすることなく、クリスマスの朝に亡くなった。

近頃、果物を食べる人が少ないと何かで言ってた。甥っ子にいたっては、果物を一切受けつけないと言うから、少し残念だ。
確かに、果物は食べなくても生きていける。嗜好品の扱いになるのかもしれない。それに少し割高なのが悩ましい。
家は自分が好きなので、朝食の果物は欠かさないようにしている。かつて、森光子さんが「朝の果物は金メダル!」と仰っていた。元々果物は大好きだが、金メダルと聞けば気分がいい。夕食のデザートに頂くこともあったが、それを聞いてからは専ら朝食で食べる。
少しでもお安く、そして美味しいモノをと、月に何度か農協へ足を運んでいる。農協は新鮮で、季節のモノが並ぶので、四季を存分に楽しめるのも魅力的である。

元々人間は果物を食べていた…なんていう話も聞いたことがある。
妹がひどいアトピーで病んでいた頃、魚より断然お肉を選ぶ妹が、果物と野菜ばかり選んでいた。サンドウィッチの薄っぺらなハムさえ食せず、野菜サンドしか食べなかった。いかにも味気なさげに見えたが、本人はそれが一番おいしく感じたのだという。
自分が寝込んだ時を思い出しても、母がいつもベッドに持って来てくれたのはすりおろしたリンゴだった。

寿命を全うするように最後を迎える時、猫も人も、少しづつ食べなくなる。もう何も食べたくない。もうお白湯でいい。そうやって死支度するように、少しづつ食べることを止めていく。
私も人生の最後のお白湯の手前は、果物を欲するだろうな。
それも、口に含めば果汁が染み渡る…季節のモノ。
季節が夏なら、やっぱり桃だろうか。


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