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『LOVE』と『WANT』

「さ、これからは自分の人生をちゃんと生きなきゃ。」
そう言われて、どこへ走って行っていいのか分からないでいる。
近頃、一日の時間が長くなった。それにはふたつ理由がある。一つは、永い間介護が必要だった父が亡くなって、行かなくちゃと、やらなくちゃと、気にかけなくちゃが無くなったこと。もう一つは昨年から、ふと朝活を始めたことだ。

自分は不器用な人間なので、何かしようとする時には誰にも邪魔されずに集中したいという我儘な習性がある。中断せざる負えない用事があるなら、今日は駄目だ…と後回しにする。その繰り返しで十数年過ごしてしまった。自分を犠牲にして…とは涙ぐましく聞こえるが、ただの不器用な我儘故である。自業自得と言う事だ。甘えるな!!何かをやりたけりゃ、どうにでもしてやるもんだ!とどこからか聞こえる。が、そんな気迫はもうどこかへ消えてしまったのだ。
そして、同級生が何かを成し遂げ、同級生が母となり祖母となる年齢になって初めて、「自分には何もない…」と気づく。どれだけの時間が必要なのか?!と自分でつくづく嫌になる。結婚相手には辛うじて出会えたが、子供には恵まれなかった。これで子供がいれば、何も疑うことなく生きていると思うがそうではない。これで父が逝ってしまえば…、誰かの為に常に空けてあった時間がポッカリと宙に浮いてしまう。…そんなことをここ数年薄ら薄らと考えて、昨年はいやに強く考えた。考えては、だって時間がないんだもん!と子供のような言い訳が何度も頭を通り過ぎた。
そして、朝活を始めたのだ。

元々早起き名人の主人が出ていく頃、花ちょうちんでベッドにいた人とは別人のように、朝活は思っていたよりもすんなりと体に染みついた。まだ、夜明けの明星が灯る頃に起き、白湯を飲む。そして、ゆっくりと体を動かして緩めていく。体が緩んだらひとまず、主人と朝食。自分は果物とヨーグルト、チーズでコーヒーを一服。お陰で一日2時間と日曜日にしか顔を合わさない夫婦の時間が少し増えた。送りだしたら、一通り家事を済ませる。そうこうするうちに朝日が昇る。ここぞとばかりに朝日に向かってラジオ体操っぽい動きを少し。太陽の光を体に受け、いかにも人間らしい一日の始まりだ。そしてパソコンに向かい、頂いたお仕事を済ませる。元々イラチな気質はあるのだが、脳みその状態がいいのだろうか、捗りまくり昼前には終わる。そこから父の所やら諸々を済ませる。これで「時間がない!」のストレスは随分減った。そしてそれからしばらくして父が逝ったのだ。年末までに色々面倒なことは全て終わり、今、恐れていた事態となっている。
「誰かの為に常に空けてあった時間がポッカリと宙に浮いてしまう。」
「さ、これからは自分の人生をちゃんと生きなきゃ。」
何年も自分を蔑ろにしていると、『LOVE』と『WANT』が小さくなっている。昨年から少しずつ考えたり思い起こしたりしているが、見えない。
見えないから、思いっきり走り出せない。
気持は走り出したくてうずうずしているのに、走り出せないでいる。『LOVE』と『WANT』。私の『LOVE』と『WANT』。
今、誰も私の不器用で我儘な習性を咎めない。
このスキに『LOVE』と『WANT』を少しづつでも大きくしよう。
この有難い時間をもう少し。
本当にいつか見えるのかという不安と、何が見えるのかというワクワクした気持ち。
でも、どこか清々しい気持ちなのはどうしてか?
やっぱりトコトン馬鹿なのか?、朝日を浴びているせいなのか?

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