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違いは個性

「あなたは私とは全く別の要素を持った生き物なのよね。そのことに小学生だったあなたの参観日に気づいたの」

いつだったか母が私に言った。参観日…。何かしでかした参観日があっただろうか?ふと思い起こすも心当たりはなかった。そもそも、母よ。親子だろうと同じなわけがないことくらい、その時まで何故気づかなかったの?そちらの方が気になる私。

参観日。何か意見のある人!と先生に促されて、挙手する生徒がチラホラ。

その中に私の手は上がっていなかった。大人しい性格だったから、挙手するなんてことはよっぽどのことがない限りなかった。その姿を後ろで見ていた母は「何故?」と思っていたらしい。母は私と違って利発な女性だったから、ふざけているわけでないにしろ、ただ大人しく目立たず座って授業を受けているだけの娘に愕然としたという。そして、初めて「この子は私が産み、育てはしたが、私の分身ではない。」と心底感じたらしい。

十月十日の間自分の中で育つ子供は、いつしか自分と一心同体のような感覚に陥りやすい。自分の思い通り、自分の思うように、自分と同じように…と知らず知らず、一つの命、一つの個性として見つめていなかったことに気づいたと。

気づいてからの子育てはとても楽しかったという。何を考え、何に興味があるのかと自分と違ったところを見つけることが嬉しかったというのだ。「~しなさい!」よりも「自分で考えなさい」と言われることが多かったことは、子供の私には些か面倒でもあったのだけれど。今となってはとても有難いことだと思う。違っていることはダメな事でなく、個性として見てくれていたのだから。このことは、当たり前なことで簡単なことだけれど、意外と難しいことで、忘れがちなことだ。でも、とても大切なことだから、やっぱり忘れちゃいけないことなんだと思う。

私も、あなたをひとりの生き物として見つめています。


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