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自分の思いは誰のもの?

母の思いは何より強いのか…。
少し怖い気はするが、そんな気がする。
自分に子供がいないので、イメージがしにくいけれど、その思いを受ける子供の方なら体験してきたのだからイメージは出来る。

中学のころから勉強はさっぱりだし、数学が必要そうな、設計事務所を始めたばかりの父の仕事は手伝えない。好きな絵を描く側から手伝えるだろうか…インテリアコーディネーターとかそういうの?とりあえずは美大?と大雑把には思っていた。その後通った高校は死ぬほどつまらなかった。あまりのつまらなさに、入学間もなくから進路を考え始めた。ある日、何を思ったか、昔よく雑誌の合間に挟まれていた、通信の絵画教室のはがきにリンゴのデッサンを描いて送ってみたことがあった。別に習いたかった訳ではないのだが、運試し的に送ったのだと思う。案の定、その後勧誘の電話がかかってきて、お断りしたのが…。それを母に気づかれて、美大に進みたいことを話す羽目になったのだった。
「私は何も手伝わない。習いに行くならお金は用意します。自分で探してきなさい。」
漠然と考えていただけだったことが急に現実的になった。そこから、電話帳で探しはじめ、1か所ずつ見学に行き、ひとつの絵画教室を選んだ。受験の為に通うなら、三年生からでもいいと言われたが、すぐ通い始めた。すぐに通いたいからあえて、受験色の少ないところを選んだのだ。古い煉瓦と枕木が素敵なアトリエだったのも選んだ理由のひとつだ。そういう空間でデッザンをしている時が実に楽しく思えた。また、同時に自分が思っていた以上に絵が下手だということも明らかになった。だが、高校生活より、そこが私の居場所になった。
そして、紆余曲折の末、私は今、結局のところ絵を描く仕事が多い。広告デザインの仕事を受けながら、父が病気になってから建築図面を描く仕事をしたが、横文字のカッコの良い職業ではなく、単発的に頂いていた挿絵の仕事が細くも長く続いている。

妹は、ホテルの仕事に就いた。「姉さん、事件です!」のセリフから始まるホテルのドラマをみて、人を優雅にし、楽しませるホテルの仕事に就きたいと思ったらしい。まわりの反対を押し切り、高校からホテル経営を学べる大学へ留学した。心が決まるまでは勉強はダメダメだった妹だが、やると決めた後の追い上げは自分の妹とは思えぬくらいだった。英語を筆頭にぐんぐん成績を伸ばし、あっという間に『出来る子』になった。人は目的を持てば本領を発揮する。
「私は頑張る。お金の心配だけお願いします!」あっぱれなセリフを残し、妹は飛び立った。大変なのは両親だ。私は美大。妹は留学。お金が必要な数年間、今思えば父の仕事はその間だけは不思議なくらい順調だった。
妹は宣言通り、大学入学までのプレスクールを異例の速さで卒業し、年上ばかりの中で英語漬けの生活を見事に成し遂げた。自力で東京の一流ホテルに就職して順調に見えたが、アトピー性皮膚炎がひどくなり止む無く退社するまでに至った。それはそれはひどく、すべての膿を出し切るように数年苦しんだが、跡形もなく完治した。それを待っていたかのように、以前働いていたホテルからのお誘いを頂き、現在、再び同じ系列のホテルで働いている。

同じ母親から生まれた私達姉妹。それぞれ、まったく別の性格を持ち、全く違った道を歩んでいる。だが、実はこれは母の思いでもある。本人達は、自分の意思で動いていると思っている。だが、違うのかもしれない。なぜなら、母がいつだったか言ったのである。
「健康でいてくれればそれで十分だけど、芸術に関係することか英語を使うこととかに関係して生きてくれたらうれしいなぁと思ってた。」
どちらも思いは叶っている。私はまあ小粒だが一応、妹に関しては相当叶っている。
自分もそういうことが好きだったようで、母が結婚するまで、貿易会社に勤めていた。神戸港に船が着くと荷物を確認しに行き、外国から届く絵画や洋服、アンティークの品々を見ふけっていたのだという。
人の思いは知らず知らず人へ伝わる。そして、自分の思いへと変わるのだ。
その思いが母の思いともなれば、それは何より強いのかもしれない。
いや…、家のママン自身の思いが強いのか…?

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