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行き場のない叫びが宙に舞ったBirthdayランチ

以前働いていたアクセサリー店で出会った姉さん。二人とも数年でそこを辞めたが今でも定期的に会う。もう十年以上の付き合いである。2.3ヶ月に一度会う。お互いの誕生日にはランチを御馳走する。でも、負担にならないようにとお茶は祝ってもらう方が御馳走する。二人とも随分大人であるにも関わらず、可愛らしいルールがいつの間にか出来ていた。今回は半年ぶりだった。五月は私の誕生日だったのだ。

予約は出来なかったと入口で名前を書いた。店内を覗くと人は疎らで、準備が出来ればすぐに呼ばれそうだった。何人か呼ばれたがまだ呼ばれない。確認しに行くと、呼ばれていないのにすでに名前が消されていた。
「すみません。呼ばれていないんですが…。」
「申し訳…ございません。次にお呼びいたします。」
確かに呼ばれてはいないはずだが、こちらが申し訳なくなるほど、不機嫌そうに言われた。今思えば、ここで気分を害したと別のお店に変えれば良かったと思う。
一瞬、少し嫌な気分にはなったが、中に入ると全面ガラス張りの広く明るい空間が広がっていた。観葉植物が多く飾られた店内は開放的だった。
二人とももう先ほどの嫌な感じはどうでもよくなっていた。席について注文を済ませて、話し出す。

姉さんとは5歳ほど離れているが、人生のバイオリズムがよく似ている。うまくいかない時、少し希望が持てた時、時々で周りにいる嫌な人まで良く似ていた。だから、また会いたくなる。素直に自分の気持ちを吐露できる人だからだ。近頃の姉さんは、私より少し先に行ってしまった感がある。なぜなら、漸く自分が納得できる居場所を見つけて奮闘している最中なのである。私はまだ迷いの中だ。
お互いの近況を代わる代わる話す。会わない間に何を考え、どう折り合いをつけてここにいるのか…。
…と、突然目の前に座っていた姉さんとの間に、女性の悲鳴と共に何かが飛んできた。水しぶきのようなキラキラとした何かである。時間が止まる。こういう時は本当に時間が止まったように感じるのだ。
「え?」
起こるはずもないところで何かが起こると状況把握に時間がかかる。
目の前の姉さんをゆっくりと確認すると、髪の毛や顔、洋服にいたるまでキラキラとしぶきがかかている。
「なに⁈こんなことってある?なに?」
とおしぼりで拭く。店中のお客さんの注目を一斉に集めた。
二人とも水だと思ったが、拭いても拭いてもその透明の水滴は取れないのだ。
「姉さん…、ひとまずトイレに行って取った方が良さそう…。」
そういうと、隣の席の親子連れの父親に
「これ、何が飛んだの?」
と姉さんが聞いた。すると、父親より先に母親が
「ガムシロップです‼」
と大声で言う。どうやら、母親の膝の上で、小さな子供がガムシロップで遊んでいて、思いっきり蓋を開けたのだった。ガムシロップとはあり得ん。だから、拭いても拭いても取れないのだ。ネチネチと絡まる一方で、おしぼりの水分で粘りが緩んでネチネチが広がるばかりだ。
幸いにして申し訳ないことに、私の横の席に母親と子供が座っており、ガムシロップは対角線上に飛んだため、姉さんにだけ目がけて飛んだのだ。鞄にもスカートの左半分の上から下まで飛んでいたのだ。
気の強い姉さんがグググっと堪えているのがヒシヒシ伝わった。姉さんがトイレに走って行った後、私はテーブルや椅子、鞄などを店員さんと共に拭いた。その横で、隣の夫婦は言い合いを始めた。
「ああいう時は自分もびっくりしていないで、謝らなあかんわ‼子供がしたことで、故意にやったわけじゃないし、ああいう時はすぐに…」
と母親が父親を責め続けている。
「ここはお家じゃないんだから、お家にいる時みたいに遊んじゃだめよ!」
と母親が子供に注意している。
おかしくはないだろうか?お家ならガムシロップで遊ばせるのかい?見たところ、3つか4つの子である。ガムシロップで遊んだ結末を想像できる子だろうか?危険予知など出来ないまま、目の前の面白そうなもので遊んでしまうのではないだろうか。もしもの想像が出来るのは大人の君ではなかったか?
そもそもだ。父親を責める前に、そんなもしもの想像をせず、静かに遊んでいるのなら…とガムシロップで遊ばせていたのは君ではないか?
観点がズレてはいませんか?お母さん!肝心な過失をすっ飛ばしてはいませんか?
「そもそも、ガムシロップで遊ばせてたら…ダメですよね。」
堪らず、一言だけ言ってしまった…。

トイレから戻った姉さんに、
「折角のランチの時間を申し訳ありませんでした。」
と、クリーニング代のお金を置いて、親子3人は足早に出て行った。
姉さんはお金は貰えないと拒んだが、逆の立場なら気が済まないだろうと思い直し、渋々受け取った。だが、こんなお金をお財布のモノと一緒にするのはどうにも気持ちが悪いと、無造作に鞄に突っ込んだ。
髪の毛も洋服もスッキリときれいに落ちないままだったので、出直しましょうと勧めたが、
「おばちゃんになると開き直りも早い!大丈夫。なんか小汚いけど逆に構わない?」
と、本当に開き直っていて、それが余計に心苦しくなった。
「お父さんが折角のランチを…って言うからもう少しで、
『そうですよ!しかもね、今日はただのランチじゃないんです!Birthdayランチだったんですよ!どうしてくれるんですか!』
ってここまで出かかってたけど、余計に酷いランチになりそうで堪えましたわ。この私がギャーってならなかっただけでもあの母親、感謝すべき!」
と、喉に手を当てて言いながら、もう笑っていた。
多分、これから先、『あり得なかった話』として笑い話として何度か会話に上がるだろう。

あの母親が言うように、子供のすることだから仕方がない。それを盾のようにされると、独身の姉さんや、子供のいない私の様な者は引いてしまうふしがある。黙らざるを得なくなる。大人のすることでも故意じゃないから責められない…という場面はあるけれど、少しニュアンスが違う。
結局は、「ハイハイ。いいですよ。気を付けて下さいよ!」なんて言って終わるのが常。だから許すも何もないけれど、許してもらえると思っている度合いが違う。小さな子は親でも予測不能な行動をするからだ。じゃあどうしたらいいのです?と言われたら、これまた詰まる。謝り倒してほしいわけでも、お金が欲しいわけでもない。ただ悶々とする。行き場のない叫びが宙を舞う。

知らず知らず、普通とか一般的というところから離れるたび、言動をセーブさせられている。そう感じるのはひねくれた私だけだろうか。
そのフラストレーションを笑いで吹き飛ばすしか能がない。

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