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母と祖母

「ママはあてにならないからな。」
そう笑っていう祖母を思いだす。それを間近で聞いていた母も、
「そうそう。」
と言って笑っていた。
母はずぼらだと、よく祖母に苦言を言われていたのだ。祖母はとても几帳面であった。
母は放任主義だったように思うが、祖母は統制力を重視した。
「重箱の隅をつつくような人だった。」
と、母は小さい頃を思い出して鬱陶しそうに言ったが、間違っていないかったので、言い返せなかったと振り返る。母と祖母は母娘だが全く違っていた。


晩年の祖母はいつも決まったソファに腰かけ、煙草をふかし、テレビの番をしながら時折居眠りをするのが日課で、どこへ誘っても首を縦にはふらなかった。まだ元気な頃は営んでいた薬屋のシャッターを朝早くから開け、掃除を済ませると、小さな小さな数字を並べて、使い古したそろばんを弾いていた。とても几帳面であった。同じ硬貨をひとまとめにして、四角い紙切れで器用にクルクルと巻いて角を折り込み、いくつか貯まると郵便局に持って行く。紫色の印伝のがま口に、小銭と三つ折りにしたお札を何枚か入れていれて朝の帳簿付けが終わる。
たまに早く目覚めて、祖母の横に腰かけてそれを見るのが結構好きだった。
そして、皆が起きてくるまで、学校の出来事や友達の話をした。祖母は嬉しそうに私の話を聞いた。


高校でホームステイに行かせてもらった時、その話をいつもと同じように祖母は聞いた。祖母は海外へ行ったことが無かったので興味深そうに、驚いたり感心したりして聞いていた。
ホームステイ先は、獣医を営むお父さんと役所に勤めるお母さん、そして二人の子供がいた。とても懐いてくれて、ホームステイから帰る時、弟は
「僕もそのスーツケースに入って一緒に日本へ行きたい。」
と泣き出した。バスに乗り込む時にはみんな涙が溢れ、止まらなかった。
…と、その話をしながら、思い出して私が涙を堪えてしゃべっていると、祖母も同じように涙した。朝早くから二人して泣いた。みんなが次々起きてきては、
「どうした?何があった?」
と不思議がったが、涙の訳は私と祖母の秘密だった。

祖母と母は正反対。ずっとそう思っていたが、近頃はそうでもない気がしてきた。祖母が苦言を言うほど、母はずぼらではないし、結構几帳面だと感じることがある。よっぽど私の方がずぼらである。世の中みんな、代々ずぼらになっているのかもしれない。昔の人はいろんなことがキチンとしている。

そして、二人が同じだと思うところがある。
物事の判断を「正しいか正しくないか?」で判断するところである。
人によってその区別は差があるかもしれないが、二人のその基準は同じなのだろうと思う。誰にとって正しいか…というよりは、おてんとさんから見て正しいか正しくないかなのである。そこに、世間体や付き合いが生む忖度はない。だから、ある人たちからは嫌われる。でも、だからと言って判断を変えない強さがある。

私にもその強さはあるだろうか?
いつも、何かの判断を迫られるとき考える。
「正しいか?正しくないか?」
間違うのは嫌だから間違えたくはないけど、「間違いですよ!」とは聞こえない。やっぱり、自分で判断して進むしかない。間違っているかもしれないという不安を持ちつつ、たくさん考えた結果、正しいと思う方へ行く。その結果、間違えるかもしれない。その時は仕方ない。間違えても、正しくない方へ行くよりはいいのだ。そうやっていくつか繰り返している内に、正しさが正確になるに違いない…そう信じている。

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