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ジーンとドライブ ヒントは本棚に

本棚は人を表す。
私とジーンの本棚はまるで違う。
私はいつまでたってもフワフワしているので、フワフワした本棚である。
方やジーンの本棚は実用書ばかりが並んでいる。小難しそうな建築関係の本や将棋の本。会話術…なる本もある。これに関してはただ、当たり前のことが書いてあるだけだが、少し人とのコミュニケーションが不得手のジーンには、何かのヒントが書かれていると思ったのか。
確かに、ジーンとの会話は単発で終わることが多い。おしゃべりな人となら然程気にならないかもしれないが、話が広がらないのである。かと言って、阿川佐和子さんのように聞き上手でもない。もし、聞き上手であれば、自分には無かった小ネタの引き出しがひとつ増え、また違った人との会話に生かすことができる。また、そこから自分の興味に繋がるかもしれない。
本のチョイスもこれに似ているかもしれない。一つの本や作家から芋ずる式に広がっていくことがある。ある意味、私の本棚も偏っている。

私が実家から持ってきた本にはきっと興味がないはずだ。そう思っていたが、意外とそうではなかったようだ。ジーンは時々本棚から取り出し、眠る前にすこしづつ読んでいる。枕元に置かれた本のチョイスを見て、「そういう気分なのか。」と私はジーンの心情を垣間見る。当の本人は帯や目次で確認するくらいしか内容を知らないはずなので、意味を持って選んでいないかもしれない。だが、数ある本の中から、今、その時その本を手に取るというのは、一種の出会いである。

ジーンが職を転々としていた頃、手にしていた本はミヒャエル・エンデの『モモ』だった。無駄なことが許せず、「なんの意味があるの?」と口癖のように言っていたジーンが、人生においての無駄な時間を自ら作ってしまい、悶々とした日々を送っていた頃である。どんな気持ちで読んだだろうか。
人生なんて無駄だらけなように思う。無駄な時間こそ豊かさを育む。でも、死の時までは生きていかねばならない。無駄な時間ばかりではならないわけで。ゆっくりと、ちょっと急いで行こうじゃないの。

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