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シフトチェンジせよ!と告げられた日

はじめに…。
不快に思われる方いらっしゃったらごめんなさい。
妊活を断念した40代女子の話です。
読みたくない人はスルーして下さい。

子供を持つことをあきらめた同士へ捧ぐ…。
…なんてカッコつけてみたりして。

自分でも思いもよらず、感情がこみ上げた。
車に乗り込み、しばらく走らせたが、目に溜まった涙で前が見えなくなって車を停めた。そして、しばらく泣いた。胸や喉が苦しい。こんなに泣くのはいつ振りだろう。そして、気づいたのは、自分がこの期に及んでまだ子供を諦め切れていなかったことだった。

そもそも、結婚自体が遅かった。それでも、結婚すれば自然と子供はできるものだと思っていた。漠然とそう思っていた。それが間違いの始まりである。

子供は自然にできるとは限らない。
日々年を取り、その間に老化が進む。妊娠機能は低下していく一方だ。本気で妊活を始めたのは妊娠の確立が低く、更に妊娠しても流産する確率は高い、とうに四十になった頃だった。そんな年から始めること自体がおかしいが、妊娠云々より介護の方が先にやってきたのだから仕方ない。いつも自分のことは後回しだった。人生は全く思い通りに行くものではない。

限られた数の卵子がだんだんと減っていく。残った卵子の中でいくつ状態の良いものがあるのだろうか?
月に一度のチャンスが一年に12回。毎月毎月日々変わる体を気にしながら生活した。ストレスはホルモンのバランスを著しく崩してしまう…と聞けば、出来る限りストレスを溜めない様、感じない様に気を配った。だが、父の介護と掛け持ちしていた仕事など、ストレスがないはずもない生活だった。
アロマテラピーや運動を積極的に取り入れ、食事は日々のホルモンの波に合わせて考えた。極度の冷え性を改善しようと体を温めることも常に考えた。
そして、3年ほど経った頃、なんとか妊娠することができた。
だが、喜びもつかの間、心拍は2週間で途絶えた。
育たなかった理由は自分の体だった。もう病名は覚えていないが、ぶっきら棒に言えば、折角芽生えた命を異物と認識した脳がやっつけろと指令を出して殺してしまうとかなんとか…。私の体はそういう体だった。
それを避けるための薬を処方され、再び治療を続け、間もなく二度目の妊娠をすることができたが、結果は同じだった。
今度は卵管が閉塞していると言われ、閉塞した卵管に水を通す通水治療を何度か受けた。人によっては痛みが少ないそうだが、私にとってはもう気を失うほどの痛みだった。初めての時は嘔吐し、しばらく歩くこともできなかった。我慢強さには自信があったが、あまりの痛さと精神的苦痛で続けられず、半年頑張ったが断念した。
金銭的に余裕があれば、体外受精等も道はあったがしなかった。
余裕があればしていたかどうか?子供は授かりものだというのに、そこまでして子供を望むのかどうか…と考え、夫婦で話したりもした。

治療を辞めてから何年が過ぎた頃、その間に同じく40才過ぎて結婚し、妊活を始めた知人達は母になった。みな、「ガンバレ!」と励ましてくれる。でも、これは頑張って叶う問題ではない。その励ましは苛立ちでしかなくなっていた。同じ言葉に傷ついていた彼女たちが、母になった途端に笑顔でその言葉を振りかざしてくる。よく聞くことだが、街で見かける妊婦さんや赤ちゃんは直視できないほど心が醜く疲弊していた。そんな自分が嫌で仕方なかった。

口ではもう諦めたから…と言っていたが、相変わらず食事には気を配っていたし、運動も続けていた。生理が遅れると少し期待したりもした。生理周期の後半は、どんなに頭痛が酷くても、もし妊娠していたら…と薬を飲むことを控える自分がいた。要はどこかで、もしかしたら…と奇跡を待っていたということだ。
だが、45才になって漸く決心した。ズルズルと続けていた妊活サプリを廃止した。これで終わり。もう、終わり。これで、ホルモンの波に左右される生活は終わる。自分ではこの行為によって区切りをつけれたと思った。

それから何ヶ月か過ぎた頃、不正出血していることに気づく。45才を過ぎて疑うなら病気の方だが、頭の片隅には着床出血の文字も浮かんでいた。哀れな40代不妊女子である。注意深く自分の体の変化を感じ取る。そして、生理予定日を一週間以上過ぎてしたことは、妊娠チェックである。恐る恐る、そして少し期待しながら反応を見る。結果は見事に陰性だった。当たりまえの結果である。そうして漸く病気を疑うことになる。
久しぶりの婦人科へ静々と向かう。
辛い記憶と痛さが蘇る。妊婦検診でいっぱいの待合室で、仲間外れのいじめられっ子の気分になった。悲劇のヒロイン宛らである。

診察室に入り超音波検査をする。やることは分かっている。世にも恥ずかしい格好をせねばならない。その恥ずかしい格好で嬉しい事実を聞くならまだしも、悲しい事実を告げられるのは本当に情けなくてキツイものだ。今回も嬉しい事実を告げられることはない。それどころか告げられたのは卵巣機能低下だった。兼ねてから少しづつ感じていた更年期の始まりである。
それによって突き付けられたのは、「もう、あなたは子供を授かることはないですよ。」という紛れもない事実だ。
ついでに子宮体ガンの検査もしておくことにした。

おかしな話だが、子宮体ガンだったら…という不安より、完全に子供はもう無理だと突き付けられた方が大きかった。会計を済ませ、病院を出た途端に思いがこみ上げた。もう自分の中で、子供のいない人生へとシフトチェンジしていたつもりだったのに出来ていなかった。していた「つもり」だったのだ。

不妊治療は終えるタイミングを自分ではなかなか決められない。毎月毎月もしかして…と考えてしまうからだ。子供を授かることは奇跡の連続ゆえ、来月は!次は!と奇跡を望んでしまう。
折角女に生まれて、子供を産む機能が備わった体だったのに無駄にした。
親に孫を抱かせてあげられなかった。
夫を父親にしてあげられなかった。
もっと早く結婚できていれば…。
もっと早く妊活していれば…。
体外受精していれば…。
自分には何もない。
何だか、申し訳ない。
そんなふうに自らを無能に感じた。私の人生は何もない。消えてなくなるだけだ。

だけど、近頃耳にするのは、若い人が、最初から子供は望まない人も少なくないという話。そもそも結婚もあまり望んでいないとか…。
自分の考え方が古臭く思えた。そういう人は最初から子供がいないことで悩むことなく生きていける。
色々な生き方、色々な家族という形、色々な夫婦のあり方…。多様性が認められる社会を問われる今、おじ様たちが時代錯誤な言動で槍玉に挙げられるが、自分を含め、まだまだ古い考えは根深くある。
40才過ぎて独身だと可哀想に~というおば様もいる。
結婚したら、子供つくれよ!可愛いぞ!という上司もいる。
同窓会に行けば当たり前のように子供がいるものとして会話が進む。
多くの人が、結婚すること、結婚したら子供を持つことを当たり前のように語る。その割合の方が多いからそれが「普通」なのだ。
結婚しても子供を望まない。
独身で自分の人生をカッコよく生きる。
どちらもその感性が羨ましい。
結婚して子供を望むのに持てなかった…というのは、いろんなことが宙ぶらりんで辛い。どちらかに振り切ってしまえば楽なのに、出来ずにいた。
漠然と結婚して、子供ができて、おばあちゃんになって、孫を抱く…と思っていた。漠然とそう思っているということは、それが「普通」だと私自身インプットされているということだ。
時代は変わる。人も変わる。生き方も変わる。考え方も変わる。「普通」も変わるのだ。グルグル思いを巡らせて、心を落ちつかせた。
とても悲しい。とても悔しい。とても寂しい。だけど、久しぶりに大きく深呼吸できた。清々しくもあった。

突然やってきたシフトチェンジの機会を悲しくも有難く活用させて頂こう。
体も更年期へシフトチェンジ。
考え方も幅広くシフトチェンジ。
心は軽やかに。
残りの人生の時間と方向性を改めて意識した日。
久しぶりに子供のようにひとり泣いた日、生まれ変わった気持ちでまた生きようと前をみる。


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