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果物屋さんのアイスクリーム

近頃は、何でもかんでも美味しくて驚く。飲食店はもとより既製品も随分美味しく改良されている。滅多に…というか全く買ったことが無かったが、試しに買ってみた冷凍食品には感動さえ覚えた。昔の冷凍食品はもっと、申し訳なささのようなモノがあったが、今はもう堂々胸を張っている感じだ。

「美味しいもんちゅうのは意外と分からんもんで…。分からんまんま美味しいものを食べてると、今度、不味いものがハッキリわかるんや。」
誰かが、そう言ってたのを思い出した。確かにそうだと思う。美味しさを判別するより、不味さの判別の方が簡単のような気がする。
年齢を重ねて美味しさの範囲が広がるたびに、美味しく思っていたものが不味く感じるようになっている…そういうこともあるのかもしれない。

昔小さい頃、薬屋の祖母のお店の前には果物屋さんがあった。かごにみかんやらりんごやぶどう、夏にはスイカが並んでいた。近くに病院もあったせいか、お見舞い用の果物かごも置いていた。今の果物屋さんのように、どこか遠くの国の変わった果物は並んでいなかったように思う。
店の商品棚の下には黒猫がいた。祖母の家にだって二匹の白猫がいたにも関わらず、私はよくその黒猫を見に行っていた。果物屋さんの子供らは私よりはるかに年が上で、もうそこにはおらず、私が行くと店主は楽しそうに笑ってくれた。
「アイスクリーム、食べるかい?」
そう言って、少し湿気たコーンにアイスクリームをパカッとのせてくれる。
近頃の果物屋さんのインスタ映えするお洒落で美味なものとは真逆である。
果物屋さんであるのに、果物の果肉や果汁が入ってるようには思えない味だ。今思うに、ミックスジュース的な味だったかもしれない。しかも、滑らかさが無い。シャーベットとアイスの間を行く不思議食感であった。でも、それが美味しかった。湿気たコーンを残念がるでもなく、最後まで食べきる為に、少しずつ下までアイスクリームを落としていくミッションが楽しかった。コーンが湿気ているのはいつものことだった。

思い出すと笑えてくる。何だったんだろう?あのアイスクリーム。あんなアイスクリームってもうないなぁと少し寂しくもあったりする。でも、今食べたらきっとあまり美味しいとは思わないだろう。巷には美味しいアイスクリームがありふれているから。
どんどん人の舌が肥えて、美味しいものしかなくなっていく。非常食でさえ技術が進化して、美味しくバリエーションも増えていく。すごい時代になったんだなぁと感心する。今の子供たちって、美味しいものだらけで羨ましい。だけど、不味いものすら分からなくなってはいないだろうか?分からくっていいんだけれど、その美味しさは進化のたまものなのだよ。
技術も舌も肥えずにもがいていた昭和の時代。あの出来損ないの懐かしい味を愛おしく思い出してしまう。

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