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ただ生きよう。

昔から、時々ぐわぁっと考えてしまうことがある。
いつか死んでしまうこと。
小さい頃、祖父が亡くなった時、青白くなった祖父を見るのが怖かった。
十代の頃は、まだまだ先のことだとブルンブルンと首を振って現実に戻った。
二十代の頃もそう。立て続けに祖父母が亡くなって、お葬式と言う儀式に少し慣れたがまだ自分には遠く思えた。
三十代の頃になって、身近な人が生と死を彷徨った時、死んでしまう事の恐怖より、生きる、生きてほしいと思う生に対しての執着心が強まった気がした。そして、ただ生きていたんでは駄目だと思った。
それから、四十代になった。十年以上介護生活だった父を見続けて、人は生かされているんだと実感した。こんな状態でも生きなければならない。いつ終わるかも誰も分からない。ただ生きることがものすごく難しいことなんだと思うようになった。
また、発作のように死ぬことをぐわぁっと考えていた。昔は考えているうち苦しくなったが、不思議に苦しくならない自分がいた。
昔は自分が死んだら…と死んだ後の自分のことを考えていた。呼吸が止まると苦しいよね…とか、痛みはあるかな?とか、心の中で考えてるこの感覚は残るのかしら?とか。でもこの間は違った。恐怖のようなモノより、自分が死んだ後の残された人や、モノ、部屋のことを考えていた。死んだ後、あの世には持っていけないんだよな…とか。元々、モノに執着はない方だけど、必要最小限でいいと強く思った。自分が気に入ったモノだけ。それこそ、あの世へ持って行けるなら持って行きたいと思えるものだけ。それは必需品とは限らない。心を満たすものであっても良い。
人はいつか死ぬ。そんなこと誰もが知ってるけど、誰もその実態を知らない。どんどんその日は近づいていく一方だ。生命線は手首まで長いけど、実際はどうだかわからない。長生きしたって、病気になったり自分が誰だかわからなくなってしまうのは悲しい。まさかという事故や事件に巻き込まれるやもしれなくて。いつ死ぬかは分からない。それでもやっぱり、今死んでしまうのはまだ早いと思うわけで。何をもってそう思うのかは不明だが、私は年相応の生への執着をもちあわせている。
もうこれで思い残すことはない…なんて言って死ぬ時を迎えることなんてできるのかしら。きっと無理なような気がする。

とりあえず今は、死ぬことを忘れてただ生きる。
ただ生きるのが今すべきこと。
でも時々ぐわぁっと考えてしまうことがある。

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