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ジーンとドライブ お金というアイテム

どこにも行きたくない。
何かしてみたいこともない。
井の中の蛙で結構だ。
そして、
「いいなあ。好奇心とかそういう欲望とかいっぱいあって。…俺、そういうのどっかに置いてきちゃったみたいだわ。」
と、ジーンは小さくつぶやいた。
この時の何とも言えない、胸が苦しくなるような感覚を今でも覚えている。

義理の母が家をリフォームしたいと言いだした。
家をリフォームしてモデルルームのような部屋になったお友達の家に遊び行き、羨ましくなったのだ。しかし、義理の父はそれに全く興味がない。
「今のままでも十分生活できているんだから、必要ないと思うんだけど…?」
と、息子夫婦に問いかける。母は不機嫌で一杯の表情をしている。

彼女は優雅でリッチな生活にあこがれている。お金に困っているわけでもないので実行すればいいのだが、どうすればいいかが分からないしひとりでは決められない。そして、何より、お金は出来るだけ使いたくはない…と少々矛盾を抱えている。出来れば、リフォーム費用は親孝行の一環として息子たちに出してほしいと考えているのだ。しかし、それは自分の口からは言えないので、それを臭わすような物言いをする。
父の方は、人の目などと言うものは一切気にしない。最低限の供えさえあればそれでよし…という風だ。彼の興味は、有機野菜や無添加食品など口に入れる美味しいモノと、自分のお友達との旅行や飲み会でビールを鱈腹楽しむことにある。先日も三度目のニューヨークから戻ったばかりだ。自分の身なりにはトンと疎いがそういう事には躊躇なくお金を使う。
この夫婦は性格も考え方も、お金の使い方もまるで違う。

息子二人の考えはこうだ。
次男君は趣味も友達も多く、結婚式にはお嫁さんよりも招待する友人が多すぎて、親戚を省きたいと言い、母に相当怒られていたほどである。
これまで一生懸命蓄えたお金で、残りの人生を快適に過ごす為に使えばいいと言った。だから、母がしたいようにすればいいと。父が反対する意味が分からないと言った。
この答えに、母は微妙な表情である。自分の見方をしてくれたが、「僕が出してやる。」とは言わないからだ。
そして、長男ジーンはというと、リフォームには反対だと言い放った。次男の言うように、更に先を考えてバリアフリーにリフォームするのは賛成だ。しかし、壁紙や床の張替え、間取りの変更までのリフォームはするべきではないと言い、どうしてもしたいなら、男三人でDIYすると言い出したのだ。
これには母はドン引きで、リフォームはもう別にいい‼とふて腐れてしまった。
そして、ジーンはこう続けた。
「二人とも今は元気でいるが、残りの人生後どのくらい元気で過ごせるか分からない。だから、思い出に残る時間にお金を使った方が価値があると思う。」
シーンと静まり返った部屋でジーン以外の人間の全ての目がまん丸になった。まさか、ジーンがそういうことを言うとは誰も思わなかったからだ。
残念ながら、それは到底無理な話だった。父は母をどこかに誘おうとするが、母は父と思い出の時間を一緒に過ごすなどまっぴらごめんなのだ。
ジーンの言い放った言葉に母は鼻で笑い、父は声を上げて笑い、弟は少し困った顔をした。それ以来、誰もリフォームの話を持ち出さないでいる。あんなに希望していた母でさえ。何とも困ったファミリーである。

しかしまあ、誰のどの口がそれを言うのだ…?
人はそう簡単に変わるものではないという。でも、ジーンはどうやら変わったようだ。いや、元々こういう考えを奥底に持っていたのかもしれない。
結婚当初、私はどうにかコヤツを変えなければと悪戦苦闘し続けていた。ヘロヘロに疲弊して、力尽きた時、漸く「人が人を変えられない。私ごときが…尚更。」と実感することが出来た。その時からジーンとの夫婦生活はうまく回るようになった気がする。あんなに躍起になっていたのは何だったんだろう?と狐につままれた様に思われた。小笠原への旅が彼を目覚めさせてくれたのだろう。

お金はどうしたって、この世で生きていくためには必要不可欠なアイテムである。そして、衣食住は生活をするための基本である。衣食足りて礼節を知る…という言葉がある。そこが満ち足りていないと人としてのバランスが崩れる。けれど、豊かさに限度があるわけではない。どこで満足を得るかは自分で決めなくてはならない。
何にお金というアイテムを使うのかは人それぞれ違う。逆に言えば、何にどのようにお金を使うのかで、人の本質が垣間見える。

思い出に残る時間に使うお金に価値がある…と言ったジーン。
意味なし、無駄無駄と、興味もなかった小笠原へのあの旅が、君にとって価値がある思い出として今も心に残っているのだと、私はとても胸が熱くなった。

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