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すべてのジャンルはマニアが潰すの本質

「すべてのジャンルはマニアが潰す」

これは新日本プロレスの親会社・株式会社ブシロードの木谷高明会長の言葉です。この言葉が最初にメディアに出たのは、新日本プロレスがブシロード傘下になった直後(2012年)だったと記憶していますが、受け取り方の相違によって、当時のみならず、今でもSNSではこの言葉を巡る論争が起きている場面をしばしば見かけます。というわけで、今回はこの言葉の本質の部分について書いていきたいと思います。

ブシロード傘下になった当時の新日本プロレスは、どん底期こそ脱していたとはいえ、まだまだ低迷期でした。低迷しているということは、会社の状況が良くない、あるいは業界全体の状況が良くないことを意味しています。冒頭の言葉はそうした現状を打破していくという強い決意表明だったと感じています(木谷会長の取材をしたわけではないのであくまでも個人的な感想)。

「マニア」という言葉が、マニアを自負する古株ファンを刺激している感は否めませんが、本質の部分を読み解くと、別に古株ファンを排除しようと言っているわけではなく、「成功体験に縛られすぎない」「コンフォートゾーンを抜け出す」「過去と現在を見つめ直して未来を築く」……といった意味合いが含まれていることがわかります。

これはプロレスに限らず、どんなジャンルでも、企業や学校でも同じだと思います。過去に成功体験があると、それを経験している長いキャリアを持つ人ほど「これでいいんだ」「これこそが正義だ」という意識が強くなり、うまくいっていない現実から目を背けたり、新たな行動を躊躇したりして、ダメだと感じていても、居心地のいい、そのままの環境で居ることを好みます。その結果、低迷が続き、取り返しがつかない状態となり、結果的に廃れる。これが「すべてのジャンルはマニアが潰す」という言葉の本質だと、個人的には思っています。

マリノスが実践した「すべてのジャンルはマニアが潰す」改革

新日本プロレスの成功例は、この言葉を知っている方ならご存じだと思うので、ここでは私が愛する横浜F・マリノスの「すべてのジャンルはマニアが潰す」改革の事例を紹介しましょう。

サッカーに詳しくない方に簡単に説明しておくと、マリノスはJリーグ初年度から参加している10チームの内の一つ(オリジナルテン)で、過去5度のリーグ優勝を誇り、数多くの日本代表選手を輩出してきた日本を代表する名門クラブです。

ここ5年でも優勝2回、2位が2回と上位安定で、3年連続リーグ最多得点、得点王4人輩出と、Jリーグでは群を抜く成績を残しているのですが、05年以降、19年に15年ぶりの優勝を果たすまでは長い低迷期間がありました。

03年、04年と日本代表も率いた岡田武史監督のもと、リーグ連覇を達成したものの、この成功体験が時代の変化に対応できない、あるいは主力選手の入れ替えができない重しとなり、監督人事をはじめとした編成の低迷を招きます。ベテラン、主力は地位を脅かされることなく安泰で、方針のないチームは付け焼刃の補強でなんとか体裁を保つ。それでは結果が出るわけがなく、タイトル争いに絡めない低迷が続いていくことになりました。

そうしたなか、2014年、マリノスは歴史的な大改革に踏み切ります。プレミアリーグのマンチェスターシティを筆頭とした多数のクラブを保有する、世界的なサッカー事業グループである「シティフットボールグループ」(CFG)の傘下となったのです。

当時、コアなサポーター(マニア)からは、「クラブの魂を売るな」「マリノスは死んだ」「シティを排除しろ」など、反対の声が数多くあがりました。コアなサポーターは毎試合ゴール裏で応援してくれる大切なファンであり、クラブとしてはその声を無視するのは大変なことです。しかし、改革に踏み切ると決めた以上、マニアの声で方針を変えることはできません。もしも、ここでマニアの声に押し切られて改革が頓挫していたら今のマリノスはありません。低迷が続き、今頃はJ2を彷徨っていた可能性すらあります(実際、マニアの声に左右されて低迷しているJクラブもある)。

これが「すべてのジャンルはマニアが潰す」の危険性です。ジャンルやチームのためではなく、個人が自分のコンフォートゾーンを守るための主張は害であるということ。CFGによる改革に成功したマリノスは、上記の通り結果を残し、ヨーロッパスタンダードの戦術や人事、育成システムなど、Jリーグをけん引する存在であり続けています。

人間というくくりの中では上も下もない

説明が長くなってしまいましたが、「すべてのジャンルはマニアが潰す」の本質はこういうことではないでしょうか。ファン歴が長い人が偉いとか、にわかはすぐにファンをやめるからダメとか、どっちが偉いとか悪いとか、そんな小さいことは大した問題ではないのです。

そもそもの話として、同じジャンルを好きになった“仲間”を、なぜ敵対視する必要があるのでしょうか? これはマニアとかにわかと関係なしに、完全にその人の人間性の問題だと思います。応援の仕方や、好きになるきっかけは人それぞれで当たり前です。それなのに、自分と合わない人間は排除するという、傲慢な考え方になれるのが理解不能。ファンとかマニアとか以前に、人間としての考え方に問題がある人は、ジャンル問わず、社会的にうまくいくはずがないと思います。

逆に人から悪く言われたり、否定されたりして落ち込んでしまう人に言いたいことは、「放っておけ」ということです。自分の人生に1ミリの影響もない、通りすがりの人間の言葉に、わざわざ影響される必要はありません。自分の人生をドラマに置き換えた場合、主役は自分で家族や友人、恋人など、主要登場人物は周りにたくさんいるはずです。名前もない通行人Aの言葉なんか、ムーディ勝山(古くてすまん)しておけばいいのです。

会社や学校などの組織上は、上司と部下、先生と生徒、先輩と後輩みたいな上下関係はあるかもしれませんが、人間という大きなくくりで見た場合、人には上も下もありません。一人の人間としての立場はみんな一緒です。対して偉くもない人が偉そうにすることほど、みっともないことはありません。

で、結局何が言いたいかというと、マニアとかにわかは自分たちで決めているだけで、みんな一緒なので、「ちゃんと仲良くしようぜ」ということです。周りの人と仲良くすることは幼稚園児でもできることなんだから、大人はちゃんとしましょうという話です。

おわり。


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