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#27 自己開示の扉について

一番近くて、一番わからない人が自分だと感じます。

自分を知るためには色々な経験が必要だと感じてさまざまなことをする人がいます。かくいう自分も旅に出たり1週間閉じこもってずっと考えたり、色々なことをやりました。

やってみて思うのは、魔法のように簡単に絶大な効果を得られることはないということ。自分を理解してスマートに見える人でもその背景には絶え間ぬ努力があるように感じます。

自己開示は「自分を開いて示す」と書きますが、その通りだと思います。

自分の中の奥の閉ざされた扉を開けて、中身を人に示す。ただその扉には大抵鍵がかかっていて、開けることがなかなかに困難で、どうしても時間がかかる。

自分の一人で開けられないこともしばしばで、他の人に手伝ってもらうこともよくある。絶対に開けることができないと思う扉の前に立ち尽くすことを、人を絶望と呼ぶのかもしれません。それほどに開けるのが困難な扉が、人の奥には隠されていると思ってしまいます。

重要なことは自分をよく理解することを諦めない姿勢であり、何かを取り繕ったり表面的な部分を説明することではない。よい部分だけを見せても人に自分を示せたことにならないと思うのです。

自分でさえ不安定で不確実な部分を、人に示す。葛藤しながら自分の大切な部分を見せてくれた人に、人は誠実さや真摯さを感じるのかもしれません。

圧倒的な強者よりも、弱みや苦手がある人の方が親近感が湧くような気がします。自分の中の弱さをその人の中に見出すことであり、人の弱さを通じて自分の弱さを受け入れたいという願いかもしれません。

だから相手の弱さを見せてほしいと思い、自分の弱さも理解してほしいと思うのかもしれません。きっとお互いに警戒をしているので、常に自分から扉の中を見せられる人でありたい。

それでは、また。

2019年7月27日
東京・水天宮にて

最後まで読んでいただきありがとうございます。