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3月24日(日)

茨木のり子全詩集に載っている詩を最初から順番に写経し始めた。一つ一つが素晴らしくて書き写しているだけで心が折られそう。自分がいかに平凡かを痛感させられる。それでもいいんだ、いまはただこつこつ書いていくんだ、量を書くんだ、と決意を新たにする。そしてまた写経して、また心を折られる。その繰り返し。


数年前、北海道の岩見沢に一人で二週間、山間の山荘に泊まった時間、とてもよかった。レンタカーを借りてスーパー行って食材買って自炊して、近くの銭湯とサウナに行って、怖いくらい静かな家の中で一人、仕事したり本読んだりコーヒー飲んだりしてた時間が忘れられない。静寂と無垢な光に包まれていた寝室で目を覚ませることの喜びをあの部屋に置いてきたままなんだよな。またあとで行こう。


さまざまな経験を経て、手順を踏めばできるとイメージできることは増えたけど、手順を踏むのがめんどくさすぎてやりたくないことも増えてた。ただめんどくささこそ、人が生きる上での本質の一つ(生きることはそもそも手間なことだよ)なので、よっこらせといいながら必要なことを粛々とやっていきたい。


有賀さんのニラ豚汁つくってみたら、とても簡単でおいしかった。これをおかずにして白米と漬物で一食完成しちゃったよ。ありがてぇ。

一昨日もつくって今日もつくったけど、今日キャベツ追加してみたらほぼもつ鍋になった。おいしくないはずがない。うまかった。おすすめ。


前職で働いていたときは人の物語を知りたい気持ちが強かったけど、いまは違うんだよなぁ。人の、自分の、命の輝きが見たい。その人らしさが十全に発揮されたときに発生する何かなんだよな、たぶん。これは失礼な話かもしれないけど、目の前のその人への興味よりも、いつか放たれるであろう未来のそういう瞬間の方に興味がある。残念ながらいま目の前にいる人との距離感はそれぐらいがちょうどよい。よく流通している”善い人”にはなれない。

その人らしさの発揮について、自分に見せてもらうために何かしてもらうというわけではもちろんなく、その人がそれを発揮せざるをえないような、ごく自然にそれを発揮するような、そういう環境や人間関係の中に身を置けたらいいよなぁと祈りつつ、会話をしている。必ずしも前向きである必要はなくて、発揮されるのは、ぐじゅぐじゅの暗闇かもしれないし、凪のような静けかもしれない。人は幸せにならなければいけないわけでもないし、不幸にならなければいけないわけではない。自分が、人の輝きを放つ瞬間に幸運にも立ち会えたとき、その輝きを捉えられる目と感性を持ち合わせていたいと切に願っている。その瞬間を捉えるために、ぼくは人と関わっている。


数年前に書いたメモを読み返していたら胸が苦しなってしまった。体調が悪いときの感情が冷凍保存されてた。もう二度と同じ文章は書けない、いまの自分が書ける文章はとてもユニークなのだということを噛み締めておきたい。書いてるときにはわからないのだけどね。思い出すよ、何度でも。



最後まで読んでいただきありがとうございます。