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#20 人を理解することについて

ずっと人を理解するとはどういうことなのかを考えています。

その人のどこをどれくらい知れたら、その人のことを理解したことになるのか。

人が抱える悩みは、構造化するとシンプルになりすぎてしまうように思うのです。

・働きすぎて退職して新しいことに気づいて転職した
・いまに不安があり変化したいけどどうしたら良いかわからない。
・何かに熱中したことがない。けどいまの生活に不満があるわけではない。

よくあるケース、比較的抱えやすい問題構造は一般化できるのかもしれません。

しかしどれだけ同じように見えても、圧倒的に違うのが人であり、人の物語も簡単にまとめられるようなものは一つもないのです。

人が人を理解したつもりになるためには、構造化して細分化して整理する必要がありますが、その過程でたくさんの要素が抜け落ちることを忘れてはいけないと感じます。

分かりたいけど、分かりきれない
分かりきれないとわかっていても、分かりたいと思わずにいられない
分かってもらいたいけど、分かってもらえきれない

さびしさのようなものをずっと抱えています。相思相愛なのに完全に一致することはない、そんなさびしさ。

ただそのさびしさがあるから、人と人は分かり合いたいと願うのだと思います。

愛とさびしさは、コインの裏表なのかもしれません。同じものを見ても、見る角度によって異なる表情を見せる。

どちらの気持ちも大切にしたい。

それでは、また。

2019年7月20日
秋葉原のカフェにて

最後まで読んでいただきありがとうございます。