見出し画像

2月19日(月)

無力な自分にできることは、ただ、さまざまなものの時間を引き延ばすことなのかもしれないと、思ったり思わなかったりする。根本的には楽天的だと自覚しているけど、その楽天さは誰かを傷つけていることもあると思うので、良いのか悪いのかもよくわからない。


日記でもエッセイでもどんな内容でもnoteを書いて公開し続けていることの良さの一つに、どうしようもなく気持ちが溢れた時に、その時の自分に書くという手段と書ける場所が存在してるってことだろう。どこかで誰かに話してもいいけど、生き生きした気持ちの自分が残っていることの意義は大きいと、感動した友人が思いを書き綴っているのを見て思った。外見を気にする余裕もないくらい感動している人を見るのは、なぜだか好き。



何人かの友人に同じようなテーマを話すことがあったので、自主的に「生きる上での前提・世界認識と人間認識」というドキュメントを書き始めた(もし興味ある人がいたら個別に送りますので、お気軽にご連絡を)。

自分の中では生きる上で大切にしている価値観や「これが変わると自分ではいられない」と感じる真理のようなものでも、文字にすると、どこかで見たような言葉になってしまうのは不思議だ。こういう文章には、内容よりも、人に読ませるための文体が必要なのかもしれないなと思ったりした。

読んだ友人の感想の一つに、「これ、ハイデガーじゃん」というのがあり、興味を持ったので、それまで読んだことがなかったハイデガー「存在と時間」の解説記事の連載を読み始めた。

興味のある記事を数記事読んでみて、「めちゃめちゃおもしろいな…」と感じてしまったので、最初の記事から順に読み進めている。1記事2000文字程度の記事が160記事あり、いま70記事目くらい。昨日18時から読み始めて、起きている時間のほとんどをこれを読む時間に充てている。これを読む前と後とでは、何かが変わってしまうような、そんなおもしろさがある。


誕生日のお祝いに花束をもらったので、家に帰ってから空瓶に生けてみた。

花のある生活って、とてもいいものですね。これからも一輪でもいいから花を生けようかなと思うくらい、部屋の中が華やいでいる。特に朝一、目が覚めてからその日初めて見る部屋の中に花があると、全然違って見える。


一週間前に100スキだったのが、今日で120スキになってた。

公開から三週間ほど経つけど、みなさんどこから発見してくれているのだろう。これを読んでから、Twitterやnoteをフォローしてくれる人もいるので、書いてよかったなぁと思ってる。


CHO CO PAのライブ行ってきた。

当たり前だけど、音源で聞くより何倍も迫力がありつつ、ライブならではのアレンジもあり、行って良かったぁぁぁ。


今週末で終わる展示でいくつか見にいきたいものがあるので、せっせと見に行くぞ。がんばるぞ。ちょっとがんばらないと行けないので、がんばる。


今週は詩をまだ書きあげられてないけど、いま33篇ほど上がっているので、よかったら読んでみてください。日に一度更新される閲覧数的なものが毎日ちょっとずつ増えてる。


最後まで読んでいただきありがとうございます。