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会いたいは、愛たいだ。

ふと、その人に「会いたい」と思うときがある。寂しいわけでもなく悲しいわけでもなく、ただ、なんとなく「会いたい」とき。

なんとなく「会いたい」ときがある

誰かに会いたくなるときは、たくさんある。

さびしいとき
かなしいとき
支えてほしいとき
知恵を借りたいとき

ただ、上のいずれでもないときでも、人に会いたくなるときがある。

何かを期待するわけでも、求めるわけでもないけど、ただ、その人に会いたい。

会うためならどこにでも行けて、結果会えなくても嫌な気持ちにならないような感覚。その人の存在があれば、自分に何かのプラスが訪れるような感覚。会いたいという気持ちで表出するけれど、本質的には会えなくてもいいような感覚。

そんなとき。

会いたいと思える自分は大切

純粋に人に会いたいと思えることは、鬼気迫る状況がなく、不安でも悲しくもなく、その人と自分のために使える時間があるということ。

色々なもののバランスが絶妙で、自分の気持ちにきちんと向き合えていて、それらが行動に結びつけられていること。

それは、健全で充足している状態だと思う。

会いたい人がいる幸せ

恋人でも友達でも家族でもいい。純粋に会いたいと思える人を持つことは、それだけでも幸せだ。

その人がいる地域に行きたくなったり、
その人がすきなことをしてみたくなったり、
その人がすきなことをすきになったり。

世界の一つ一つが輝いて見えるような感覚。可能性に目を向け、前向きな気持ち。

それは、とても幸福なのだと思う。

会いたいは、愛たいだ

言葉遊びはすきではないけど、ただ「会いたい」という気持ちは、「愛」に近いのかもしれない。

メリットや利益を求めず、期待や応答ではない、人と人として関わりたい気持ち。

愛は本質的には、意思に基づいた行為であるべきだ。すなわち、自分の全人生を相手の人生に賭けようという決断の行為であるべきだ。

エーリッヒ・フロム|愛するということ

いきなり自分の全人生を賭けることはできなくても、自分の時間を使って相手と会うのは、自分の人生の時間を相手のために使うこと。

その気持ちは、恋人や夫婦だけのものではなく、親しい友人や初めて出会った人にも起こりうる気持ちだ。

愛を持って、人と接することができることは、とてもすてきなことだと思う。

特に理由がなくても、会いたくなる人はいるだろうか。もし一人でもいるなら、その人を大切にしてあげてほしい。きっと大切な人だから。

あとがき

「会いたい」という気持ちがどんなものかを考えてみたくて、このnoteを書いてみました。自分自身の気持ちや感覚を掘り下げて整理してあげると自分への解像度が高くなって面白い。気持ちと意思の間にありそうな、この不思議な感覚を今後も考えたい。

TOP画像は、cotreeの真下にあるストリーマーコーヒーの店内。

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