見出し画像

あなたに語ってほしいのは、呪いではなく、救いの言葉だ。

言葉や語り方は、その人の人柄を反映するものだと思っています。また人からもらう言葉や人に語る言葉には、救いと呪いの両側面があると、常々感じています。


「前向き」という言葉への違和感

「ひらやまさんって、前向きですよね」

ということをよく言われます。

たしかによく笑うし楽しいことはすきで未来を信じているから、比較的前向きなのかもしれません。noteやTwitterでの発信や表現をみてもらうと、確かにそう見られてしまうのかもしれません。

ただだからといって、自分のことを「前向き」という言葉で括られてしまうことには違和感を感じてしまうのです。


苦しさを隠してしまう癖

昔から「大変だ」「苦しい」という言葉をオープンにすることが苦手でした。

小学生から自分の劣等感を紛らわすために黒い感情を飼いならしながら、ストイックに努力するタイプでした。あきらめることや捨てることに怖さがあり、何一つ諦めないために、本当に死ぬ手前までの努力をしていました。

自分で弱音を口に出してしまうと、本当にそうなってしまうかもしれないという怖さがあり、弱音を出すことが苦手でした。


言葉は、呪いにも救いにもなる

周りからかけられる言葉はもちろん、自分が自分にかける言葉も大きな影響力があると思っています。

もうむりだろ
お前にはできないよ
君ってそんなやつだよね

言葉はときに呪いになり、人の歩みを止めることがあります。


もうちょっとならできるかも
自分には必要な力が備わっている
可能性は無限大だよ

言葉はときに救いになり、人に歩む力を与えることがあります。


ただ一見救いに見えて呪いになる言葉もあれば、呪いに見えて救いになる言葉もあります。


やりたいようにやっていいよ
あなたを何よりも大切に思っている


その言葉をどんなニュアンスに受け取るかは、そのときの状態や特性によって変化してしまいます。自分の言葉が相手にどう受け取られるかは、コントロールすることができません。


自分から出る言葉を選びたい

noteやTwitterで表現する言葉は、何気ない言葉だったりずっと考えていた言葉だったりします。

ずっと自分と人のことを考えていると、気持ちを傷つける言葉やニュアンスに気づくことができます。その気になれば呪いを投げることもできるのかもしれません。


ただそれは直感的にやりたくないと思うのです。呪いの連鎖を生むよりも、救いのバトンを回していきたいと願うのです。


人に伝える言葉は、いままで自分がもらった言葉から丁寧に選びたい。

嬉しかった言葉
支えになった言葉
幸福とともにあった言葉

自分の良さを押し付けることなく、自分と相手のためになることをしていきたい。

どんな言葉を、自分にかけるか
もらった言葉を、どう受け取るか
人を呪うか、救いのバトンを渡すか


あなたに語ってほしい言葉がある

大切な誰かにかける言葉は、よく選んでほしい。

「この言葉は呪いか、救いか。」
「自分はどんな気持ちなのか。」
「仮に自分が言われたらどう思うか?」

正解なんて誰も持ち合わせていないから、その時の自分が選びうる言葉の中で、もっとも良さそうなものを選ぶしかない。


ときには口に出す言葉ではなく、抱きしめることがいいかもしれないし、ただただ日が暮れるまで一緒に遊ぶほうがいいのかもしれない。


ただどうかあなたが選び取る言葉が、過去の自分への呪いの言葉ではなく、隣にいる大切な人への救いの言葉であってほしい。強く願う


あとがき

いま自分がなんとなく悩んでいるように、この先もずっとずっと悩むことになる予感がしています。

それでも悩んでいる気持ちは間違いなく自分のもので、悩みの先にある決断が自分なので、自分の人生は等身大でしかないと思うことにしています。

このnoteで、自分の闇を、人への呪いを書こうと思ったのですが、いまはまだ難しかったです。自分が未熟なのか、まだ書くときではないのか、理由はわからないのですが、まだ書けなかったです。また挑戦したい。

TOP写真は、豊洲のチームラボでの一枚。光と闇とその間が流れていくのが美しかった。

画像1


最後まで読んでいただきありがとうございます。