演劇素人が一人で稽古を見に行ったら、面白かった話。
最近、cotreeインターンのお誘いで、演劇の稽古を見に行った。個人的にはけっこう面白い体験だったので、noteにしてみました。
演劇とは?
辞書的な意味はこちら。
俳優が観客を前にして,舞台の上で,ある思想や感情を表現し伝達しようとする一連の行為。
個人的な解釈は、
「リアルな人が織りなすリアリティのある非リアルな場。」
自由度が高くアナログだからこそ、表現できるものがある。人の比重が大きい。あらゆるものを創造できる。
そんな印象でした。
場を捉える意識
「この場における言葉の重みを相対的に下げたい。」
稽古を見ていた演出家さんが言った言葉が印象的だった。
動き、振動、時間の使い方、体のあり方、抑揚、テンポ、話し方、セリフ。
普段意識することができていない、場を構成する要素が、実はたくさんある。
そのすべてを捉えて表現に落とし込んでゆく。演劇を作っていくという過程には曖昧さを削っていくということが多分に含まれている。
「主はどこか」という意識
「もうちょっと、歌を自然にしたいな。いまは踊りと歌が、ばらばらな印象。」
踊りながら歌うのか。
歌いながら踊るのか。
その意識だけでも、演技の密度が変わってくる。言葉で伝えても役者によって、身体性が異なる。身体性が異なれば解釈が異なる。解釈が違えば表現も変わる。
演出において大切なことは、役者の中になる一番大切な身体性、一番優れた身体性を、対話によって引き出していくことのように感じた。
2つ以上のものを両立させる意識
日々の生活は、無意識に色々なことを両立している。
歩きながら会話する。
景色を見ながらシャッターを切る。
電話しながらキーボードを打つ。
その両立を妥協することなく、曖昧さを残さずに、表現する人が役者であり、表現を考える人が演出家なのだろう。
「もっと自分のもので表現してほしい。まだ曖昧さがあるよね。」
借り物ではない自分の身体性を表現することは非常に難しい。高度にメタ的な視点が求められて、さらにそれを身体で表現してゆく。
前提はない。すべてを創造する。
「ここで出てきた熊を像の協力を得ながら戦おう。見せ場だな。」
脚本の内容を役者と話しながら決めているときの会話。意味不明な設定でも成立するのが演劇のすごいところ。
必要なのは発想と表現だけ。その二つですべてが成立する演劇は奥深いものだなぁと感じた。
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演技が始まったときの役者と演出家の真剣な表情がかっこよかった。場の空気が変わる瞬間に立ち会えて、空気の緊密さを感じられる稀有な体験だった。
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稽古を見させていただいたカゲヤマ気象台さんがGWに演劇やるそうです。
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TOP画像は、稽古をしていた駒場公園。子供たちがボールで遊ぶ。親たちも一緒に遊ぶ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。