見出し画像

後悔に関する雑記。救いのバトンを渡すこと。

先日、仲の良い友人と飲んで、昔の話をした。

「後悔はしてないけどね。」

少し笑いながら、当時できたかもしれないことを勢いよく話す彼は、少し後悔しているように見えた。

明日死んでも後悔しないように生きたかった

高校三年生のとき、セネカの生の短さを読んで衝撃を受けた。

誰もが永遠に生きると思い、人生のはかなさを考えることなく、浪費した時間を気に留めない。毎日が最後の日になるかもしれない状況の中で、不死であるかのようにすべてを望み、満ち足りて余っているかのように人生の時間を浪費してゆく。

今まで隠されていた世界の真実に気づいたような気がした。

「人生は短い。」
「過去を後悔し、明日に期待し、今をおざなりにする。」
「あらゆることに振り回されて、一瞬で人生が終わる。」

人生が短いなら少しでも前進できるように頑張ろう、そう強く感じたことを覚えている。

あれから何度も何度も読み返している。古典の言葉は本質的でいつも自分を鼓舞してくれる。

ただ、正しいことがわかっていても、できないこともある。

後悔して初めて過去と向き合える

自分の体調がもっともつらいときに書いていたノートを見つけた。文字とともに心に強く刻まれていた感情は、後悔だった。

本当に多くの自分がいました。ここに来るまでは自覚すらないことばかり。自分の中の心が、本当に小さいことから自分の良心を傷つけ、感受性を失っていたとは。驚きでした。記憶の中の自分は、比較的良い思い出だったことも、深く考えてみると、実は、心には、たくさんの嘘をついていました。


ただ、この強い後悔の念は後ろ向きなことではないと思う。ここからすべてが始まっていくから。

どれだけやっても後悔するときはある

「本当はこうしたかった。」
「あの時の選択、自分で決めることができなかった。」
「自分の心の声を信じることができなかった。」

どれだけ取り繕っても言葉と姿から後悔がにじみ出るときがある。後悔していることはオープンにはしたくないけど、周りから見れば意外にもわかってしまうものだったりする。

勇気とともに、一歩を踏み出す

人は誰しも、どす黒い感情を持ってしまうときがある。自分もそう。

「人が信じられない。自分が信じられない。」
「後悔している。後悔している自分が嫌い。」
「無力な自分が悲しい。いなくてもいいのではと思う。」

それは仕方ないことだけど、そんな自分を否定しないでほしい。強さも弱さも自分であることを受け入れてほしい。

もしあなたが一人じゃなかったら、チームの仲間を頼ってほしい。勇気を持って自分の弱さを開示してみてほしい。

その一歩を踏み出せる勇気は、人の中には必ずあると信じているし、だれでも勇気を引き出すことができるとも、信じている。

自分が救われたことを、他人へ

自分が人を救うことができるとは思わない。人がどう感じるかはコントロールできないから。

だから、自分が人のためにできることは、

「人からされて自分が一番救われたことをする」

くらいなんだと思う。

・つらかったときに、何も言わずにそばにいてくれた
・誤魔化してたとき、笑い飛ばしてくれた
・自分の存在意義を失いそうなとき、「いてもいいんだよ」と言ってもらえた

今まで人からもらったものを、一つ一つ返してゆく。
それが誰かに届くことを願いながら。

それでも上手くいかないことが、きっとある。
死ぬほど後悔をするのかもしれない。

それでも、自分にできる精一杯をすること。
それだけが自分にできることだと思う。

後悔しているように見えた彼との時間は楽しかった。本当のことは本人にしかわからない。後悔していても別にいい。ただ、自分が人にされて嬉しかったことはしたいと思うだけ。

cotree advent note 60日目

TOP画像は、恵比寿ガーデンプレイスの早朝。綺麗な景色だった。


最後まで読んでいただきありがとうございます。