見出し画像

2月11日(日)

知り合いが更新している日記を見て、あ、自分も日記を書こうと思い立つ。出来事を記載しない、思考未満の覚書なら一日中しているのに、何があったかを振り返ることはついつい忘れてしまう。ので、この日記を書くことに意義を感じている。


今週の始め、前職の後輩だった友人のライブに行った。約五年ぶり、その人が初めて書いた曲をライブで披露した場に居合わせた以来だった。

歌声を聴いて、歌う姿を見て、ライブの雰囲気を感じて、その人が五年間で積み上げてきたものを感じた。音楽活動とは直接関係のない仕事をしながらも、自分が大切だと思うことを大切にし続けてきた人だけが出せる凄みのようなものだった。

おそらくその人はこの先もずっと、自分が大切だと感じるものや人を大切にしていくのだろう。自身の感覚それ自体を確かめながら進んでいくのだろう。その感覚は、人が生きる上で最も大切なものの一つだと思う。

ライブに行けてよかったです、ありがとうございました。また行きたい。


押上で運営してるスペースには、とても良い光が入ってくるので、それだけで借りてよかったと感じる。部屋に必要なものは良い光。


自らの力への自覚について。

ここでいう力とは、相手の行動に影響を与えられるかつ自分のコントロール下にあること、のような概念を指している。すべて自戒なのだけど、人をコントロールできるかもしれない環境、あるいは要素を自分が保有していることに気づくことがある。それは自分が望んだものの場合もたまたま得たものの場合もある。そういうことが起きる時、自分が希望する方向性に相手も一緒に行くことが良いことだと感じるシーンがあるとする。

そういう時の選択は、よくよく気をつけたいと思う。相手へ何かを伝える時、さも相手にメリットがあることをするかのように、自分がしたい方向性へ誘導するようなコミュニケーションをしないようにしたい。仮にそう思ってしまったのなら、そういう意図があることを伝えておきたい。

対人関係において、上手であること、戦略的であること、何かに勝つこと、交渉に優れることが、のちのちの自分の首を絞めることがある。何かに抑圧された気持ちは基本的にはいつか爆発する、大抵が最悪のタイミングで。

小難しいことを考えなくても、仮に自分が相手の都合のよいようにコントロールされていると考えたら、気持ちが悪くて仕方がないので、自分が嫌なことを相手にしないようにしたい、という単純(しかし実現は難しい)な話ではある。

こういうことを考えるのは、もっと良くなりたい、というような向上心というよりも、その時のの自分が考える『しっくりする形』に合わせたい、といった美学のようなものだと思う。過去と比較して向上(何を上とするかわからないけど)しているかどうかはわりとどうでもよい。



これは自室のブラインド。

一年以上同じ部屋に住んでも、部屋の中で美しさを感じられる時がある。そういう時、とても嬉しくなる。そう感じさせるものを選んでいたことへの納得とそう感じられる感性を持てていることへの喜びを感じる。


本や映画、ウェブコンテンツでも、良いコンテンツに出会うと、まだ見ぬ素晴らしいコンテンツがこの世にあることへの希望を感じるとともに、それは絶対に自分が見きれない量が存在することへの恐怖のようなものも感じる。ずっとぼんやり感じてるけど、またうまく言語化されてない。ここに置いておいてみる。


二月入って、三篇増えた。ぽつぽつと購読してもらっていて嬉しい。よかったら感想レターもぜひ、大変励みになります。


最後まで読んでいただきありがとうございます。