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4月3日(水)

日曜日に書き始めたのに書きたいことを足していたら、気づいたら水曜日になっていた。不思議だ。ここにのせることを選ぶのはいつも少し難しいが、その難しさには意味があるように感じる。


去年八月から日記を書き始めたので、今月で九ヶ月目になった。

こんなに続くと思ってなかった。上のnoteにも三日坊主になったら笑ってくれと書いていた。昔は毎日決まったことを淡々と続けることは苦手だと思っていた。いまでも時間や場所を完璧に固定できるほど几帳面ではないのだけど、なんだかんだ続けられていることはいくつかある。いまはやめてしまったけど、長く続いていたこともいくつかある。やり始めてみないと何もわからない。今の自分を信頼しすぎない方がいい、未来の自分が振り返ると恥ずかしくなるくらい間違っていることもあるから。が、今できることをやることしか今の自分にはできないので、やるのです。


詩が書けなかった。つくりかけのものはたくさん増えたけど、書ききれなくなった。「これだ」というところまで突き当たれない。もっともっと書いてから悩めばいいと思いながら書いては、書ききれないなぁということを繰り返していた三月。今まで書いた詩はここ↓

部屋の中にいてもしょうがないかもしれないと思い、たびたび散歩に出かけた。あたたかくなってきたし。ある雨上がりの昼下がり、川沿いを散歩していると、川のみずがたぷたぷになっているのがわかった。雨の量で川の水位は変わる。たぷたぷの時の川面は水飴みたいなとろみがあって、生き物のようにうねうねしていた。水面には左右反対逆さまに建物が映されていて、そのゆらめきがなんだかとてもよかったので動画に撮ってみた。上下反転させてみると、目の前にある建物がゆらゆらしているように見えた。

個人的には好みの映像になったので、これからも見つけたら撮りたい。


結婚式に参加することがどうしても苦手だったけど、夏頃にある友人のものに参加してみることにした。前提、結婚する人たちとその周りのみなさんの幸せを祈る気持ちはいっぱいなのだが、冠婚葬祭全般の、相応しい振る舞いを求められる続ける空気感と社交としての会話、長時間の物理的な拘束、自分には多すぎる料理量(少食なのです、、)など、苦手な理由はいくつかあるのだけど、あの場にはあの場なりの楽しみ方というものがあるだろうと思っている。それが見つけられるかどうか。参加したらまたここで書く。


歩いていたら、ふと、足首に力が入りすぎなのでは、と気づいた。最近は太ももの裏とお尻から足を動かすように意識していて、歩きやすい気がしている。


半年に一回ぐらいご飯に行く三人組で、恵比寿のおいしいイタリアンでディナーを食べた。二度目の訪問だけど、前回はべろべろに酔ってしまって(三人でワインボトル三本空けた)どの料理がどのように美味しかったか記憶からなくなってしまったので、今回の目標は記憶を維持することだった。そして無事に達成した。生ハムとブッラータチーズもヤリイカのフラットも鴨肉もデザートもとてもおいしかった。たまにご飯にいける三人組はいいね、極めて個人的な感覚として、自分の人生を支えてもらっている気がする。


家の近くの公園で美しい水たまりを見た。芝生のはげた部分のくぼみに大きな水たまりができていた。立ち上がった時の目線から水たまりを見下ろすと、水たまりに空が映り込んでいた。「そうか、水は空と一緒に地面に落ちてくるんだ」と思った。光線が反射して水面に空を映している、そういう物理的、客観的な話はしていない。わたしから見える世界の話をしている。

わたしがそれを実際に見なくともすらすらと説明できるような客観的なことをどれだけうまく説明できても、それはわたしが見たことにはならない。何を考えていても何を見ていてもどれだけ精神と肉体が乖離してもどれだけ充実して満たされても、わたしはひとつの実在として世界に存在している(してまっている)。

そんな当たり前のことをいまさら取り立てて言うことに意味はないかもしれないが、またそれは重たい錨のように人を動けなくするかもしれないが、精神だけが慌ただしくどんどん先に行ってしまう現代において、いつでも帰れるホームのような役割を果たせるようにも感じる。あなたがあなたであることを忘れてしまったら、誰もあなたを見つけることができない。

「自分の人生を生きよう」とか、そういう曖昧な自己啓発ではなく、いまこの文章を読んでいるあなたが、喉が渇いたり目が痒くなったりマウスを動かしたりキーボードを打ったりスマホをタップしたり肩を動かしたりまばたきをしたり鼻をかいたり水を飲んだり空を見上げたり雲を追いかけたりベランダに出たり深呼吸をしたり昨日返し忘れたメールを思い出して不安になったり今日の午後友人とお茶をする用事を想像して嬉しい気持ちになったり湯船につかって身も心まですっきりした気持ちになったり夜寝る前に少しだけ不安な気持ちになったり目覚めた後に高い空に溶け出したい気持ちになったりすることを言っている。あなたがいま存在していることの確かさを感じさせるすべてのことは、いつかあなたに使われることを待っているものたちだ。


ブランクーシ展、とてもよかった。

会場には書かれていなかったキャプションが載った図録も買っていたので、家に帰った後に読み返して見た時の印象を振り返っていた。三ヶ月ほど開かれているので、たぶんまた行くと思う。



最後まで読んでいただきありがとうございます。