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最愛の猫との別れ。チャチャが教えてくれたこと。

大切なものを失ってしまったとき、人は悲しむ。

失ってしまったものが戻らないことを知って、人は深く悲しむ。

自分の大きな悲しみの一つに、可愛がっていた猫の死があります。

***

小学校4年生のとき、実家の田んぼを歩いていると、猫の声が聞こえた。あたりを見回してみると、近くに4匹の猫がいた。居ても立ってもいられずに家から大きめのダンボール箱を持ってきて、猫を拾った。それが出会いだった。

どうしても飼いたくて、親にねだって飼い始めた。でも4匹はさすがに多く、1匹は親猫に返し、もう1匹は知り合いにあげて、我が家には2匹が残った。名前は、チャチャとさくら。チャチャが黒猫で、さくらはトラ模様。

自分で飼い始めた子猫たちをとても可愛がった。朝起きたらごはんとミルクをあげ、学校に行く前には抱きしめ、早く会いたいから早く帰り、寝るときには同じ布団で寝た。

ずっと一緒だった。これから一緒に成長していく姿を想像した。特に黒猫のチャチャを可愛がっていた。しっぽが曲がっていて、右前足としっぽの先だけが白い、特徴がある顔つきだった。

体を洗うのと車の乗るのが苦手で、嫌がるときは徹底的に嫌がっていた。そんな姿も愛おしくて、じゃれながらやさしくしながら、体を洗ったり遠出をしたりしていたのは良い思い出だ。

ある日、チャチャが帰ってこない日があった。普段は外に出ても夕方にはお腹を空かせて帰ってくるのに、夜になっても帰ってこない。雨の日だった。不安が募っていった。

結局、その日は帰ってくることはなかった。不安が大きくなかなか眠ることができなかったことをよく覚えている。あれほど真摯に祈りを捧げたことは、他にはないかもしれない。

次の日、学校から帰ってきたとき、父からチャチャの悲報を聞いた。交通事故だった。事故の現場を見た近所の知り合いが父に教えてくれたようだった。亡骸は無残だったようで、子供だった自分に見せることはなく、父が埋葬してくれた。

あまり、理解することができなかった。毎日一緒に遊んでいて、毎日一緒に寝ていて、一緒にいることが当たり前すぎた。日常からチャチャだけがいない日々が過ぎていった。

その週末、父と一緒にチャチャのお墓参りをした。実家の裏山にお墓を作ってくれていた。10分くらい歩いた場所で、父がゆび指す先の少し盛り上がっていた土を見て、そこにチャチャがいること、もうチャチャに会えないことを理解した。

家に戻り、自分の部屋に帰ると、ふいに、悲しみが押し寄せてきた。

小学生ながらに、「別れはなぜこんなにも唐突に来るのか」「なぜチャチャでなければいけなかったのか」、圧倒的な理不尽さに激しい憤りを感じながら、泣いた。涙が枯れてしまうかもしれないと思うぐらい、泣いた。どれだけ悲しんでもきっと返ってこないことを頭では理解していても、なお泣いていた。

長い間泣いたあと、自分がお腹が減っていることに気がついた。どれだけ悲しくても、お腹が減るのだと驚いたことを覚えている。両親が用意してくれたごはんを、悲しさを埋めるように食べた。その日を境に泣くことはなくなった。

その後一年くらいはチャチャのお墓参りを続けていた。ただ、時間が経つにつれて、行かなくなっていった。理由は特にないのだろう。時間が悲しみを癒し、一歩を踏み出す力をくれたのかもしれない。

***

今度、実家に帰ったとき、お墓があった場所に行ってみようと思った。でも、お墓があった場所にそこまで意味はないのだとも感じる。

チャチャはいまでも自分の記憶にいてくれるし、いつでも自分のそばにいてくれる。そう思えるのは、一緒に過ごした大切な時間があったからなんだと思う。

そう思うと、いまあるつながりを大切にしたいと心から思える。それはチャチャが教えてくれたことだ。

ありがとう、チャチャ。
これからもずっと一緒だよ。
ありがとう。

***

表現することは、自分の中の思いを成仏させることなのかもしれないと思い、筆を取りました。

誰に当てたわけでもない文章なのですが、伝えたい人がいるとすると小学4年生の自分かもしれません。

いま一緒に遊んでいるチャチャとの時間は長くないかもしれないことを伝えてあげたい。それによって何も変わらなくてもよいのだけど、一緒にいる時間の尊さを感じてくれたらうれしい。

そしてそれはいまの自分にも言える。いま周りにいてくれる人と一緒に過ごせる時間の尊さを感じながら生きていきたい。


最後まで読んでいただきありがとうございます。