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絶望と感謝の旅路。色のない世界で行方不明になった話。

自分の気持ちがわからなくなってしまう経験をしたことがあるだろうか。目に見えない自分の気持ちをどれだけ信じることができているだろうか。

失ってみて初めてわかることがある。それはあらゆることに言えるのだと思う。居場所にも人にも気持ちにも。

不確かな気持ち

気持ちなんてものは曖昧なもので、目には見えないし、相手の気持ちはまったく分からないし、自分の気持ちも不確かで。

だけど、なんとなくみんな信じている。信頼していて、確かにあると思っている。

たしかに、日々何かを感じていて、それによって人生の彩られて、目の前が明るくなったり暗くなったりもする。

どんな感情でも、あるだけで美しいのだと思う。

唐突に失われる気持ち

自分の中の何か大切な部分の糸がプツンと切れてしまうとき、曖昧な気持ちは途切れて見えなくなってしまう。

楽しい、うれしい、悲しい、つらい、ということを思い出せない。自分がいま、どんな気持ちなのか微塵もわからない。

水を打ったようにしんと静まり返ってしまった空間が自分の中に広がる。今まで自分の内側を満たしていた気持ちはどこに行ってしまったのか、探しても探しても見つけることができない。深い深い闇に堕ちていくような感覚。

そんな経験をしたことがある。

感情を失うことは希望を失うこと

世界から色がなくなること、感情がなくなることは、絶望によく似ていると思う。

目の前が景色が灰色になってしまう。
コントリート打ちっ放しの壁ばかりが続く。
無機質な電車の車両が連なる。
ふと自分の顔を見る。驚くほど生気がない。そんな顔を見たことがないから驚く。

自分と、自分以外のすべてのものに圧倒的な距離が開いてしまったような感覚。

願いや想い、熱意や情熱なんてものも、あらかたなくなってしまう。未来への気持ちは失われてしまう。

そんな経験をしたことがある。

日々は無情に過ぎてゆく

体が重い、頭も重い。思考ができず、運動もできない。ただ、生きていくだけの活動を最低限繰り返す日々。

動物よりもひよわで、人間の思考力と感性を失ってしまった存在として生きる日々。

何も感じることができない自分に対して、何も感じることができずにいる自分が、情けないような、切ないような、悲しいような、よくわからない気持ちにならない感覚だけを抱く日々。

一日中ベッドにいるのに満足に眠ることができず、明るくなる頃に気を失うように眠る日々。

そんな日々を過ごしたことがある。

それでも一つ一つ確かめていく

ただ、そんな暗闇しかないような成果の中で、とても小さいけれど感じるものがあった。

太陽の光を浴びると何かが明るく照らされるような気持ちがあった。
ご飯を食べると、たしかに何かが満たされていった。
ランニングをすると、心臓の鼓動を感じることができた。

一つ一つ、本当に一つ一つ、確かなことを確認して、日常というものを取り戻していった。

そこには希望や情熱なんてものは存在しなかった。ただ生きるということにすがりついていた。

非日常があるから日常を感じられる

そんな日々やそんな経験をしたことが自分にどんな影響を及ぼしているかを正確に把握しているわけではない。いま困難の最中にいる人や過去困難を経験した人に、共感を求めたりもしない。

だけど、
確かに知っている。
経験をした。
自分の一部になっている。

普段どんなに元気でも、前向きなことを話していても、どんなに上手く行っていても、過去にはそんなことがあった。

だから、いま感じているうれしさや楽しさ、悲しさやつらさを噛み締めることができるのだと思う。

ささやかな日の笑いあえる瞬間
お気に入りのコーヒー屋での時間
信頼できる仕事の仲間との切磋琢磨

日常に流れている一つ一つ場面に深い感謝を感じる。何もないように見える日々が輝いて見える。

いまでもたまに眠れない日がある。それでも、悲しさやつらさを意識的に感じることができることにうれしさを感じる。

そう思うと、あの鬱々とした日々にも感謝することができる。日常のありがたさを感じさせてくれる非日常の体験は、貴重であり尊いものだと思う。

日常に帰ってこれるありがたさ

「よく帰ってきてくれたなぁ」

そう言ってくれる人がいる。待っていてくれた人、支えてくれた人、助けてくれた人。色々な人の支えがあって、いまの自分がいる。

日常は帰ってくる場所なんだろう。非日常には旅をするのだろう。

過酷な旅だから、失うものや忘れてしまうものがある。だから大切なものはなくさないように、何度も確認して何度も振り返る。

日常と非日常を行ったり来たりする日々は、ずっと旅をしているようなもので、絶望したり感謝したり、色々なことがある。

自分の悲しみや困難を嘆くよりも、経験を血肉に変えて強くありたいと思う。また悲しみや困難を知っていることはやさしくあるための一助になる。

自分の選択を正解にする姿勢

これから先、きっと悲しみや困難は何度も訪れることがある。

だけどきっと、同じくらい楽しさや嬉しさも味わえる。希望にも絶望にも、感謝したい。どちらが欠けてはいけない。どちらに偏ってもいけない。

大事なことだから、何度も何度も自分に問いかけている。noteでも何度も何度も同じテーマを振り返る。

一見無駄に見えるかもしれないけど、それでいいんだと思うようにしている。問い続ける姿勢が本質的で、その時の答えは何を選んでもいい。

どんな答えを選ぶかよりも、選んだ答えを正解だと思える努力をできる人でありたい。

画像は奄美大島のとある海岸。色を失ってしまわないように日々を懸命に生きたい。

最後まで読んでいただきありがとうございます。