見出し画像

【風疹の日2024】先天性風疹症候群で生まれた私があなたに伝えたい、流行をなくすべき理由

2月2日は猫の日、2月3日は節分、きょう2月4日は風疹の日。
先天性風疹症候群(CRS)で生まれ、目と耳に障害を持つ私にとって特別な日です。

私たちはいま新型コロナウイルス感染症(COVID-19)を通して、ワクチンなき時代のおそろしさを身をもって知らされました。ワクチンや治療薬が開発され、恐怖が希望へと変わる瞬間を目の当たりにしました。

昨年夏に五類感染症と位置付けられてからは「コロナはもう終わった」との雰囲気が広まりました。デルタ株の時期には、医療リソースが切迫し入院できずに亡くなった人がいたことも、いまや過去のこととして忘れ去られているのではないでしょうか。

風疹ワクチンがなかった時代、1964年から65年にアメリカで流行が起き、2万人の先天性風疹症候群の赤ちゃんが生まれました。社会が不安や恐怖にさらされ、中絶権をめぐる議論にも影響をあたえています。

アメリカでの流行は、当時アメリカの統治下にあった沖縄にも影響をあたえました。1965年から66年にかけて流行が起こり、408人の風疹障害児が確認され、彼らのために北城聾学校が設立されました。

視覚障害と聴覚障害には一つの共通点があります。それは、たんに聴こえない、見えないというだけでなく、音声や視覚を通じた情報にアクセスできず、その結果、社会から孤立する障害であるという点です。

2004年、アメリカの盲ろう青年・成人のためのヘレン・ケラー・ナショナルセンターは“Deaf-Blind Awareness Week 2004” (PDF) のポスターにスティーヴン・ウェンツラーの写真を採用しました。

そのポスターには“Help fight the 1964 rubella epidemic by hiring one of thousands of Americans it left deaf and blind. Like Stephen Wenzler.” というメッセージが掲げられています。

『1964年の風疹の流行と闘おうー風疹によって聴覚と視覚を失った何千人ものアメリカ人の一人を雇うことによって。スティーブン・ウェンツラーのように。』

スティーブン・ウェンツラー氏は、視覚障害と聴覚障害をあわせもち、1985年にパーキンズ盲学校を卒業し、カレッジでコンピューターの専門知識を学びました。

目と耳の障害でコミュニケーションをとるのが難しいことを理由に、彼の高いITスキルを評価する雇い主はおらず、レストランのモップかけやバスルームの清掃といった職に就くことになりました。

1964年、ニュージャーシー州で生まれたその少年は、風疹による障害のために可能性を見出されず孤独に生き、2006年11月、42歳の誕生日の夜、交通事故で生涯を終えました。

スティーブン氏のストーリーは、風疹という感染症が、目や耳などに病気や障害をもたらすだけでなく、私たちの人生そのものに大きな影響を与えることを教えてくれます。

「目が見えないことは人と物とを切り離す。耳が聞こえないことは人と人とを切り離す」という哲学者カントの言葉がありますが、この言葉で語られていることが現実のこととして起こりうるのです。私が風疹の流行をなくしたいと思う最大の理由は、まさにここにあります。

1964年、風疹大流行の年に生まれた人は、今年の誕生日で60歳を迎えます。当時の流行を目の当たりにした医師や科学者によって風疹ワクチンが開発され、流行そのものをなくす道筋が開かれました。

いま私たちが風疹の存在を身近に感じず生活できているのは、かつての流行で犠牲となった人々と彼らを救おうと必死になった人々がいたからです。

今日、2月4日は、風疹流行の歴史を振り返り、今なお病気や障害とたたかう人々に心を寄せ、より良い未来を願う日。

私の願いはただ一つ、未来の命を守るために流行をなくすことです。

風疹の流行はMRワクチン接種で防ぐことができます。どうか皆様の力をお貸しください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?