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1人目出産直後、失われた『私』の最後の記録

データを整理していたら懐かしいものが見つかったのでnoteに放流したいと思います。

4年前、息子を産んで数時間後に「この体験で感じたことを忘れたくない」と書き残した私の文章です。

読み返して、産後興奮で寝つけない深夜に忘れないように書き綴っていた病室の灯りとニオイを思い出しました。

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男の子出産しました!
予定日を4日過ぎて、3690gという結構な大きさでした。

陣痛始まってから約18時間。
陣痛は想像の範囲外の体験でした。

数日間の前駆陣痛の末、「さすがにこれは本陣痛だろう!」と病院に連絡して歩いていきました。

徒歩5分の病院。
合間に2回ほど陣痛が来たので普段より少し時間がかかりました。

陣痛は「痛い」という感覚とはちょっと違っていて確かに生理痛が1番近いけれど味覚でいうと苦いみたいな感じでした。(「痛い」はカラいに相当するとして。)

時間の感覚もなくなって、陣痛の合間は真剣に寝て体力の回復に努めました。
寝ている間は本気で陣痛を忘れ、陣痛が来るたびに現世から意識が飛んで血反吐を吐き内臓撒き散らしながら地獄に行く。

それを繰り返しながら、地獄から子供の命を必死で掴んで現世に戻ってくるみたいな体験でした。

陣痛に耐えた母親はみんなあの体験をしているのかと思うと、すごいな〜と思いました。(あんな酷い痛みに耐える必要があるのかは別の話。)

産後、病院でガニ股(会陰縫合の後痛くて普通に歩けない)で歩いている産婦さん達を見ると「あの戦いをくぐり抜けた同志よ…!」という気持ちになりました。

「産む時は痛くない」というのはその通りで、分娩室に入る時にはかなり冷静になっていました。

いきみの合間に、夫に出てくる所(会陰)を写真を撮るようにお願いしてたら助産師さんに「見たいの?」と聞かれました。

「見たいです!」と答えたら助産師さんのひとりが鏡を持って、見えるようにしてくれました。

それまで助産師さんに「頭見えてるよ〜」と言われても全然実感がなかったのですが、鏡で見せてもらうと、本当に、目で見てやっと『私の会陰から人間の頭が見えている』ことがわかりました。

この『自分の体からヒトの頭が見えてる感』すごかったです。

自分の身体から本当に別の人体が現れようとしているんだというのが急にリアルになりました。

お産は体力勝負、という言葉はその通りでいきむのはもうすごい力仕事でした。

お産は前駆陣痛という予選から始まり、陣痛という本戦を抜けていきむのは決勝戦。
本戦から間を空けず決勝戦に挑むことになるため、体力がいるのかと思いきや、決勝戦のその最後の瞬間に全力技をひり出せる体力が必要ということだったのですね。

18時間の陣痛の終盤で、必死でいきむものの、鏡には股間から頭が見えている状態が映り続けます。

妊娠中は全力で引きこもって寝倒していた私。

「あ、やばい疲れてきた。産めるかなこれ」と気が遠くなりかけました。

(こんなに「やっぱやめときます〜」ができない状態ってないよな…!)

最後のいきみで頭がぼろっと出たらその流れで回転しながら結構なスピードで肩、胸、尻、足、臍の緒がズルズルズルっと出て助産師さんが鏡越しではなく、ちゃんと見えるように赤ん坊を掲げてくれました。

胎内から出た直後の赤ん坊の身体はグレーで、臍の緒は人体の一部とは思えない色と形をしていました。


胸の上に赤ん坊を乗せてもらい、今この瞬間に増えた人類に興奮しながら、生まれたての人間の手相はどうなっているのかなど息子の手を開いて確認している間にいつのまにか後産は終わり胎盤が出ていて、会陰縫合が始まっていました。
会陰を縫う痛みは「チクチク」という擬音の秀逸さに痺れる痛みでした。

ビニール袋に入った胎盤を「見る?」と言われて断ったことが悔やまれます。
見ればよかった…写真も。ビニール袋越しの胎盤は巨大レバーまんまでした。

出産の瞬間はめちゃくちゃ面白かったですが、陣痛の体験が壮絶すぎてアレは出来ることなら二度と体験したくないレベルです。

物心ついた頃からずっと『自分の子供』が欲しくて。

その気持ちを満たすために、ボランティアやアルバイトで小さい子のお世話をしてきた私ですが、さすがに新生児のお世話は初体験なので色々と手探りです。

息子の頭を見るとあの「頭見えてる!」の瞬間を思い出して「オレ、コノアタマ、シッテル。オレ、コノコ、ウンダ!」という気持ちになります。

これから色々と経験してまた感じ方が変わっていくかと思うと非常に楽しみです。

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思い出すと懐かしい記録です。

出産を終えて数時間、このときは喜びと興奮に満ち溢れていました。

その後ワンオペ新生児育児で地獄を見て絶望の淵に立たされることを、このときの私はまだ知りません。

この時の私は、まだギリギリ『私』でした。

この後、脳みその全てが育児に支配され、理想の母親としてのを重圧を自分で課し、夫は私を概念としての『お母さん』として見るようになり、人間として扱ってもらえなくなりました。

そして一度私は、『私』を完全に失ってしまいました。

産後の混乱をやり過ごし、体力を回復して夫と向き合ってその地獄を抜け、状況を改善した今、希望に溢れていたこのときを振り返ると感慨深くなりますね。

『陣痛の体験が壮絶すぎてアレは出来ることなら二度と体験したくないレベルです。』

と、語っていますがここから約2年半後、娘の出産で再度体験することになります。

しかし、2人目の出産は本陣痛だと確信して病院に歩いて行って1時間…2時間くらいで産み終わりました。

息子のときは時間がかかった破水が、陣痛室で横になってすぐきました。
点滴の針を入れる前に分娩室に移動して一瞬だけめっちゃくちゃ苦しくなってドーーン!と生まれました。

娘の陣痛のときは息子のときほど想像の世界に羽ばたくことはありませんでした。

1人目で陣痛を味わい尽くし、「子どもが生まれて嬉しい!」という喜びと興奮だけを感じている、幸せな『私』の最後の記録でした。


その後この私がどうなったかは詳しくブログにまとめてあります。


読んでくださってありがとうございます!