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怒ったお父さんは、怒ったお母さんよりも“恐い”理由について考えた。

今朝、夫とくだらないことで喧嘩になり、言い合いになってしまった。

夫が怒鳴り始めたら子供たちが萎縮してしまい、普段はだらだらやるところを慌てて靴下履いてササッと玄関に行った。

私が声を荒げてもこうはならない。

それは私がいつも怒っていて子供たちはそれに慣れているから…というわけではなさそうだ。

(そもそも夫が前職をやめて、かなり家事育児に時間を投じられるようになってから私はめっきり子供たちにイライラしなくなったし、今ではもう夫の方が子供と触れ合っている時間の方が長いくらいだ。)

自分が子供だった頃を思い出すと、『お父さんが怒鳴る』ということには特別の恐怖があった。

お母さんが怒ったときの感覚とはまったく違って、驚き、体がキュッと縮こまり、頭の働きが停止する。

(私の父は怒るとしてもムッとして黙り込むタイプで、子供に対して声を荒げるということはほとんどなかったけれど。)

父親が怒り、怒鳴ること。

そうすると家族は恐怖を感じて、一時的にでも言いなりになってしまう。

その効果は父親の威厳や権力によるものではない。

父親を尊敬しているから、怒られたショックで父親の言うことを聞くのではない。

怒鳴られると『“恐いから”言うことを聞かざるを得ない』のだ。

その“恐い”は父親の権威ではなく、動物的な肉体としての強さが正体だ。

一般的には女性より男性の方が筋肉量は多く、同じ体格と同じ運動量の男女でも、男性の方が力が強い場合がほとんどだと思う。

さらに我が家においては身長158cmの私よりも身長180cmの夫の方の体の方が強いし、筋力にも圧倒的な差がある。

夫が本気になったら私を含め家族全員を皆殺しにすることができる。

それに対して私が本気で家族全員を皆殺しにしようとしても、夫だけは自分の筋力では仕留めることは不可能なのは間違いない。

(寝込みを襲う、火を放つ、毒殺、飛び道具の使用などではなく、あくまで肉弾戦となった場合に。)

そういった、家族の中で1番戦闘能力が高い肉体を持った父親が『怒鳴る』という暴力を駆使すれば、家族は言いなりにならざるをえない。

これは、父親の権威ではない。

今朝、夫が子供の前で怒鳴ったとき、それに対して子供たちが静かになり、普段とは違う聞き分けのよい行動をすぐとったこと。

その瞬間、夫はおそらく『服従させる快感』を感じたのではないだろうか。。

物事を言葉で考えすぎる私と違って、夫は感覚で動くタイプだ。

もし「朝の準備をスムーズに済ませるいい方法が見つかった」と安易に常用されてしまうと家庭の秩序は乱され、暴力による独裁状態が成立してしまいかねない。

暴力は、エスカレートするものだから。

(殺されないように)父親の機嫌を伺い、(殺されないように)父親の言うことをきく。

そんな家庭は健全ではない。

怒っている状態の夫に意見するとき、私は自分の中の肉体的恐怖を理性で押し込める必要がある。

「夫は私を殺さないはずだ」という理性的な判断で気持ちを奮い立たせ、怖がっているそぶりを見せないよう、対等な立場で意見を伝える。

弱者の側に置かれたことがない夫は、自分と対峙するときに妻が肉体的な恐怖と闘っていることは知らないだろう。

そんな私ですらも、うっかり(殺されないように)不機嫌な夫の機嫌をうかがった行動に出てしまうこともある。

夫が時折、不機嫌な振る舞いで家族をコントロールしようとするのは無意識でも、自分の肉体的な強さに甘えたものだ。

気持ちを強く持たなければ、肉体は簡単に暴力に萎縮してしまう。

猫がじゃれる勢いで虎がじゃれてくると命に関わる。

母親が怒鳴るのと、父親が怒鳴るのとではわけが違う。

大人同士で怒鳴るのと同じ強さのまま、子供に対して怒鳴ることは父親はとくにやってはいけないことだ。

私が家族を皆殺しにしようとしても、夫は私から子供を守ることができる。

夫が家族を皆殺しにしようとすれば、私が盾になっても子供達は守りきれない。

もちろん母親なら怒鳴ってもいいわけではない。

家庭内での1番の弱者は子供なのだから。

子供からすれば、親が怒っていることは脅威でしかない。

私は、子供と接するときに自分の「支配欲」や「親の権力で押し込めること」に対して自覚的でいたいと常々思っている。

親は、子供に対して圧倒的な権力と影響力があることを自覚していないと、家庭内の弱者である子供を自分のために歪めてしまいかねない。

その上で、男性である夫には、自分の肉体が他の家族よりも圧倒的に強いことも認識しておいてもらう必要がある。

自分だけは家族の中で弱者の立場にはなりえないということ。

例えそれが望んだものではないとしても、いつでも家族を恐怖で操作できる力があること。

その残酷さを知った上で、その力をコントロールしてもらう必要がある。

子供達を保育園に送って行ってくれた夫に、今朝の言い合いで私が悪かった点について謝罪した上で、そのことを伝えた。

怒った父親が恐いのは尊敬や権威によるものだけではないということ、肉体的に『自分には家族を皆殺しにできる力があること』を自覚して、怒鳴って力技で物事を終了させるやり方はやめてほしいこと。

夫は「わかった」と、ひとこと言った。

言い訳はなかった。

夫には『家族の中で圧倒的に強い肉体の持ち主』だということを自覚した上で、子供たちの前ではとくに、感情の表現を調節してくれるようになることを強く願う。

(感情を抑え込んでほしいわけではないので、私と意見交換をする場合にその表現が最適だと判断するなら、存分に感情を爆発させてくれて構わない。

私は理性で恐怖を抑えられるから、問題の改善のためなら、怒った夫と正面から向かい合うことは厭わない。)

もちろん私も、子供たちの前ではとくに、夫が声を荒げざるをえないような会話にならないよう表現を工夫する必要がある。

そして、弱者である子供に対しては、私も怒鳴る以外の伝え方をこころがけたい。

夫に対しても怒鳴りたくはないけれど、普通に伝えてる限りは聞く耳を持たない場合があるので、夫がひとことでこちらに向き合ってくれるようになるまでは、「夫に対して声を荒げません」とは約束できない。

(でも、私の身長が3m、体重が1tになり夫を片手でひねり潰せる力を持った場合には、夫に対して怒鳴らないと約束する。)

※この話は、あくまで我が家の話で、私個人が、夫個人に対して感じたことを文章にしました。よその家庭の夫婦の肉体的な力関係や性格の強さの違いまで千里眼で見通して夫婦の代表として語ったものではありません。



私の夫婦関係に関する考察は諸々ブログにもまとめてあります。


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