ついて良い嘘もあるのでしょうか。

「人間は誰しも1日200回のウソをついている」と言います。おそらくこれは、通常の意味合いである「人を騙す為の悪意のある虚言」だけでなく、人と会話する時の、ディフォルメや編集なども含んでいて、例えばこの文章でも最初に「200回」と言いましたが、実際は個人差がありますので、正しくは「約200回程(個人差あり)」で、と書かなければいけませんでした。それを文章の掴みとしてはややこしいなと考え、200回と言い切る。ま、そういう編集も嘘をついたことにカウントされた場合の回数だと思います。

文章を書かない方でも、友達が髪を切って、特に感想がなくても、個人的にはあまり似合ってないと思っていても、「可愛い!前よりずっといいよ!!」と言いますよね。「嘘も方便」というように、それは人間関係を円滑に行う為に必要なものでもあります。

さて、「嘘」といえば、僕が大学生時代に描いた絵にこういうものがあります。「ついて良い嘘もあるのでしょうか」。

この絵自体は何らかの事情で離れ離れに暮らさなくてはいけなくなった姉妹。不安気な妹を慰める為に姉は「大丈夫、すぐ会えるから」と言うのですが、その嘘に耐えられなくなって、泣いてしまったというシーンを切り取っております。

ここからも、当時の自分が「どんな事情があっても全ての嘘はイケないことだ!」という潔癖な様子が、手に取るように伝わってきます。200回がどうとか、無意識に自分もついているとか、そんなことはまったく気付きもしなかった時期です。

それからも僕のウソ嫌いの潔癖症は続きましたが、2009年、この絵も収録された画集『Blue』の発売記念サイン会ではじめて沖縄へ行く際に、最寄りの空港までタクシーに乗った時のこと。運転手はとても不機嫌そうで、無口な人でした。しばらく間が空き、高速道路にのった辺りで、「どこかへご旅行ですか?」との質問に「沖縄まで」と答え、「ご旅行ですか?」の質問に「仕事で」と、絵描きをしていて、画集の発売サイン会ではじめて沖縄に行くことを事細かに伝えました。すると運転手さん、実は沖縄に住んでいた経験があり、めっぽう詳しいとのこと。急に機嫌よく、饒舌になりました。タクシーでの会話はあまり好きではないのですが、空港までの道のりはまだ長く、人生はじめての沖縄ということもあって、僕も身を乗り出しました。

何でも沖縄は海水浴だけでなく、魚釣りにも適している。○○という場所が良く釣れる穴場だと。それからも30分間、運転手さんはすっかり釣りの話に夢中になり、ルアーや竿の話しなど、もはや沖縄の話ですらなくなり、ようやく空港に着くころには、彼の中で僕はイラストレーターではなく、釣り師という設定になっていました。料金を払い車を降りるとき、「それでは釣り、頑張って下さいね~!!」と言われ、「はい!いっぱい釣ってきます!!」とこの時はじめて僕は故意にウソをついた自分に気付き、再び「ついて良い嘘もあるのでしょうか」とあの絵のことを思い出しました。

せっかくご機嫌な運転手さんの、空港からの帰り道の余韻を壊すことに比べたら、僕がウソのひとつを我慢することなんて容易いことなのかもしれません。それからは、あまりウソに対する嫌悪感はなくなりました。そもそも僕が描いている絵というもの自体、紙の上に引いてある線や色で、ありもしない空間を見せているので、そう考えると、たとえテーマが誠実であろうと、すべてがウソの行為とも言えるんですよね。あぁ、ついて良い嘘もあるのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?